塩見 鮮一郎公式 掲示板

過去ログ3866 2021/4/7 9:11

▼わかけん
のーと
三勲小学校の記事、楽しく拝読。実際に目にした者として感慨ひとしお。
はりもと勲、しばた勲、むかしの野球選手にもいた勲くん。
勲章をいっぱいもらえるような男になれ、ってことでしょうか。
それにしても岡山は嫌な街ですね(失礼!!)。
操山とか三勲とか。ま、明治国家はどこもそんなもんですか。
もひとつ。
秋成、宣長論争は、熊楠、國男論争と似てるなと思っていました。若い頃は、自分なりに、秋成、熊楠に軍配を上げていた。彼らの狂気はただ者でない、天才だ、と。憧れていたのかな。
でも、年月を経て、宣長、國男にシンパシーを抱き始めている。全面心酔ではないけれど。
ま、ようするに、我凡人なり、ということです。


▼世話係
ついでに一言
「うつくしい言葉で自然や感情を
発露していた〈日本人〉」とは、
わたしは書かない。
書けない。

ジジの自恃です。ふふふ。


▼世話係
読書D
強烈な独断と勤勉の成果を、
小林秀雄はすべてうべなうのです。
宣長の素養と資質と感性をほめたたえます。
上田秋成(うえだあきなり)との論争にしても、
宣長にしか旗をあげません。

これはなぜですか。
結果、宣長という国学の完成者をふたたび祭り上げることになりませんか。
敗戦後も靖国神社に麗々しくかざられている宣長を
言葉によって補強するつもりですか。

松坂の鈴屋(すずのや)の小さな室で沈思黙考している
超独立派の文人を、
わたしも好ましく思っています。
日本をほろぼす旗頭にされるなど、とうてい信じられないことでしょう。

かれは、くりかえしくりかえし『古事記』を読み、
そこに息づいているはるかむかしのヤマトの人を想像して、
楽しんでいた。仏教や儒教が来る前に、うつくしい言葉で自然や感情を
発露していた。


▼世話係
読書C
万葉集を研究した契沖や、同じく万葉集の賀茂真淵(かものまぶち)。
宣長は真淵に弟子入りして、師がやり残した古事記の仕事を引きつぎます。
24年かけて、『古事記伝』を完成しました。

アマテラスの神話的な世界も、
古代の人はそのまま信じていた世界だったと強調し、
宣長は合理的な批判をすべてしりぞけた。

『古事記』は太安万侶(おおのやすまろ)によって、
漢字の当て字で記録されるまでは、
古代の人の語りによって伝えられた。
その生活生命と直結した言葉に虚心に耳を傾ける。
すると、儒教や仏教に冒(おか)されるまえの
日本人の原風景が聞こえてくる。

そうですかね、小林秀雄は漢字で言葉が記録されるその時代に思いを馳せて、
あれこれ考えます。ここはおもしろい。
でも、藤原の不比等の創作が加わっていたらどうします。
そういうことも加味して読みます。


▼世話係
お知らせ
知らない間に、noteに
新稿「三勲神社」が掲載されました。
東京以前のことを少し書いてほしいと言われ、
三勲をふくめて3編を用意しました。
順次、発表しますが、ハートマーク、
お忘れなく、クリック。


▼世話係
読書B
それにしても、宣長はなぜ意固地に
「から心」をきらったのか。
だれもうまく説明してくれないのですが、
理由のひとつは、儒教が国教だったからでしょう。
猫も杓子も漢語漢文、四書五経。
いやになるのはわかります。
ジジだって、欧米中心主義の学問文化に
ヤマトの列島が感染しているのに、
よくいらいらしますもんね。
なんの創造力もない林家が湯島聖堂で
威張っているのに絶望しますね。
しかも社会全体が林はえらい、
江戸の東大だという風潮なのを見れば、
なにをかいわんや。

でも、宣長はここでも例外があって、
孔子はいいといいますね。
(賛成ですが)


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