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過去ログ630 2020/5/3 13:38

☆関西人
ハリルが目指した形
ハリルジャパンについて、少し語りたい。

色々悪く言われることの多いハリルジャパンだけど、あれはあれでひとつのサッカーの形だったよね。
ハリルは監督就任するにあたって、日本の弱点を最初から見抜いていた。
それはデュエル、一対一だよ。

日本はフィジカルで海外に劣ることを昔から自覚しており、だから組織的に戦わなくてはならない、としてきたワケね。
たとえばザックなどは、その一案としてイタリア式のゾーンプレスを我々に与えてくれた。
実際、あれは非常に役立ったと思うし、2011年アジア杯を優勝できたのはその恩恵だったんじゃないかな?
だけど、ロシア大会ではダメだったね…。

ザックの作った組織は、4+4の2ラインによる方陣だった。
その方陣をボールの位置によってスライドさせ、網の目を圧縮していくシステム。
一方、ハリルの作った組織はどんなものだったのか。
ハリルの組織は、ザックのとはまた全然別物である。
もっと有機的というか、人寄り。
ハリルは、デュエル、一対一の戦いを奨励していたワケで。
こういう一対一のサッカーの復権を見て、なんか懐かしいな…と感じていた人は少なくないと思う。
そりゃそうだよね。
ある意味、ゾーンのサッカーではなく、マンツーマンのサッカーにも近いワケだから。

だけど、マンツーマン=古いサッカーでは断じてないのさ、
なぜって、いまどきはボール奪取位置がどんどん高くなってきており、ザックのように自陣で4+4ブロックを敷いて待ち構えるようなサッカーが逆に古くなってきてるのよ。
いまや、球を奪うなら自陣で待ち構えるのではなく、敵陣で仕掛ける時代である。

じゃ、敵陣に4+4ブロックを敷けるかどうかを考えてみてほしい。
それやるには、最終ラインまで敵陣にすっぽり入らなきゃ無理でしょ。
まぁ、そういうやり方をするチームもあるにはあるだろうけど、あまりにも両刃の剣である。
よって、敵陣ではゾーンに頼らず、敢えてデュエル、各々が単騎でいくべきなんだ。
一対一、マンツーマン的にいくべき。
分かりやすく言えば、前にいくほどマンツーマン、後ろにいくほどゾーン、という一種のグラデーションかな?

それが一番分かりやすく出た例が、ワールドカップのアジア予選、オーストラリア戦じゃないだろうか。
ハリルは敵将ポステコグルー自慢の3バックに、そのまんま大迫、浅野、乾の3人をマンツーマンで当たらせたよね。
繋ぐサッカーを標榜するオーストラリアからすると、3バックをマンツーマンで潰されることは起点を失うことである。
さらに井手口、山口蛍という運動量あるMFをふたり走らせ、ハリルジャパンは見事中盤を制圧することに成功した。
これは、ザックにも岡田さんにもできなかった芸当である。

FW=ファーストディフェンダーという概念を、改めて我々に認識させてくれたのがハリルだったと思う。
一対一の守備、最前線で球を奪い切るのはさすがに無理としても、せめてパスコース、ドリブルコースを消す。
ハリルのやろうとしたサッカーは、なんら間違ってはいなかった。
ただし、間違ってないサッカー=日本代表に適したサッカーかというと、それはまた全然別問題なんですよね…。
2020/5/3(日)13:38

☆関西人
クソ生意気
チームの中で、監督は絶対的権力者である。
なぜなら人事権があり、選手を査定をするのは監督の権限だからね。
だから選手は監督にビビるもんだが、ごく稀に例外として、そうじゃないチームもある。
ある意味、監督よりも選手の方が強いチーム、というか…。

私は、Jリーグ史における史上最強チームは今から約20年前のジュビロ磐田じゃないかと思ってるんだが、そのジュビロは、どちらかというと【監督<選手】というチームだったのよ。
えっ?と思うかもしれない。
当時のジュビロには、恐そうな顔した鈴木政一さんという監督がいたからな。
鈴木さんは、歴代最高勝率を誇る名将である。
ただ、鈴木さんが選手たちから恐れられてたかというと、それは違うよ。
事実、鈴木さんは名波から「マサくん」と呼ばれてるから(笑)。

うん、当時のジュビロは監督と選手に上下関係はなく、ほとんど同じ目線だったんだと思う。
全ての選手がそうだったとは言わんが、少なくとも名波、藤田、服部、田中誠などなど、あのへんのレギュラーメンバーたちは、選手でありつつ「監督級」だったんじゃないか?
特に名波。
彼は、生粋のボスキャラだよね。
かつてのアダ名が「ジャイアン」だったというのも、よく分かる。
クラブ内に中山雅史がいるが、名波とゴンの間にもさほど上下関係があるとは思えない。
名波いわく、ジュビロに入って初めてゴンを見た時、「ヘタクソやな〜、こんなのが何で日本代表?」と思ったらしいから(笑)。

こういう組織を良しとするか悪しとするかは意見が分かれると思うが、ここでは変に上下関係のタテ社会になってない分、選手個々が対等で、ある意味各々が自立した個人事業主なのよ。
よって、お互いが言いたいことを言い合う空気があり、練習では常に怒号が飛びかっていたという。

ジュビロが何でそんなクラブになったかというと、やはりドゥンガがいたことが大きかったんじゃない?
彼の鬼軍曹っぷりは、監督やコーチなどメじゃないほど恐かっただろう。
でもドゥンガは監督でもコーチでもなく、一選手だよね?
よって、そのドゥンガ効果として、ジュビロには監督やコーチに依存せず、選手たちで練習を完結させる土壌ができたんじゃないかな。
監督=教える人
選手=教わる人
という構図ではないってこと。
選手たちで、チームを作る。

ちょっと彷彿とさせるのは、吉本興業のNSCである。
NSCは数々の芸人を輩出してきてるが、それでも一期生のダウンタウンを超える天才はいまだ出てきてないじゃん?
なんで一期生でいきなりあんな巨大な才能が出てきたかというと、ある意味一期生だからこそ、じゃないかと思う。
まだNSCが学校としての機能を稼働させてない創成期だからこそ、
先生=教える人
生徒=教わる人
という土壌になってなかったんじゃないかと。
ゆえに生徒も先生もない状態で、NSC一期生はジュビロ化したんじゃないだろうか。
で、クソ生意気なダウンタウンが、クソ生意気な名波のごとく才能を開花させたワケだ。

クソ生意気といえば、ヤットなんかもそうでしょ?
彼は一学年先輩の中村俊輔を呼び捨てにし、彼のことを語るのに「あいつ」という言葉を使っている。
友人同士なんだから別にイイじゃん、と思うかもしれないけど、私は違和感あってね。

いや、こういう書き方をするとクソ生意気な奴ほど成功する、みたいに誤解されそうだが、そういうことじゃないんだ。
ただ、
監督=教える人
選手=教わる人
という構図の範囲内でおさまってる以上は、化けられないのも事実だと思う。
選手が監督と対等な目線でチームを見られるようになってこそ、そのチームは化けるんじゃない?
2020/5/2(土)18:32

☆関西人
プロフェッショナル
今まで日本代表監督に外国人はたくさんいたけど、オフトとジーコとオシム、ファルカンとトルシエとザックとアギーレとハリル、これらは各々分けて考える必要があると思うのね。
前者はもともと日本サッカーに所縁があった指導者で、後者は所縁がなかった指導者。
どちらが指導していくのに難しいかって、そりゃ間違いなく後者ですよ。
おそらく、カルチャーショックからのスタートだろうから。
それに日本人選手に関する情報をあまり持ってないから、最初のうちは召集メンバーも技術委員会の作ったリストそのまんまだろ。

面白いのが、最初の召集で坂井達弥や皆川佑介らを入れたアギーレである。
何でコイツらが選ばれるの?と思ったが、おそらくアギーレなりのリクエストだろう。
と言っても事前にスカウティングしてたというよりは、時間がないから、ポジション、年齢、利き足など条件を入力して検索したのかと。
で、その検索にヒットしたのが坂井や皆川だったんだと思われる。
あくまでデータだけでの選抜ゆえ、やがて坂井も皆川も呼ばれなくなったけど。

何の予備知識もない外国人が日本人選手を把握するには、どうしても数ヶ月は要すると思うよ。
そのロスを差し引くと、就任して半年でクビを切られたファルカンが不憫でならない。
これから…、という時だったのにね。

ただ、ひとつだけ分かっておくべきは、代表監督はしょせん雇われマスターにすぎないということである。
日本代表は監督のモノでなく、オーナーのモノ、つまり日本サッカー協会のモノである。
そこを勘違いして勝手なことしちゃうと、ヤバいことになります。
トルシエやハリル、このへんのフランス文化圏の人はさすがフランス革命を誇りにしてるだけのことはあり、敢えて支配者と戦ってたよね。
トルシエはぎりぎりセーフとなったが、ハリルは最終的にアウトとなった。
確か、ハリルは協会を相手に裁判するとか言ってたけど、あれどうなったのかな?

逆に、オーナーに従順だった模範生がザックである。
彼は、さすがミランやユベントスやインテルなど名門クラブを渡り歩いただけのことはあり、処世術に長けていた。
なんせ、ミランみたくメチャクチャなオーナー(ベルルスコーニ元首相)がいるところでも結果を出した人である。
まずザックは、ここで誰が真のボスかをすぐに見抜いたんだよね。
アディダスだな、と。
で、彼はアディダスと契約し、自らCMに出たりもしていた。
このへん、アディダスに喧嘩を売ったトルシエと真逆のスタンスである。

あと、彼は原博実が自分のボスであることをわきまえていた。
ちゃんと、原さんが望むサッカーをやろうとしてたんだ。
その「原さんが望むサッカー」には、きちんとしたテキストがある。
皆さん、覚えてるかな?
実は最初、ザックの契約上の手続きに時間がかかり、2010年9月のキリンチャレンジ2連戦にザック就任が間に合わなかったんだよ。
で、代わりに原さんが代表を指揮することになった。
幻の原ジャパンである。
この原ジャパンが、対パラグアイ、他グアテマラで2連勝し、原さんは歴代最高勝率の代表監督として記録されることになったのね(笑)。

で、この原ジャパンこそがザックにとって絶対的テキストなのよ。
だって技術委員長自ら作ったチームなんだから、このチームを見れば「なるほど、原さんはこういうサッカーを私にやってほしいんだな」とザックも100%理解できるでしょ。
これ以上、分かりやすいテキストはあるまい。

【原ジャパン初戦2010年9月4日】

・・・・森本
香川・・本田・・松井
・・憲剛・・細貝
長友・中澤-栗原・内田
・・・・川島

で、このテキストを見て、ザックが指揮した最初の試合がこれである。

【ザックジャパン初戦2010年10月8日】

・・・・森本
香川・・本田・・岡崎
・・遠藤・長谷部
長友・今野-栗原・内田
・・・・川島

原ジャパンと瓜二つのこのチームで、いきなりアルゼンチンに1-0で勝った。

それにしても、ザックジャパンってあまりにも最初から完成しすぎなのよ。
ぶっちゃけ4年後も、ほとんどこのまんまだもんな?
いかに、ザックが原さんのテキストを最後の最後まで遵守していたかである。
ここまで雇われマスターに徹することができるのは、ある意味で最強のプロフェッショナルだよね。
2020/5/2(土)16:42

☆関西人
ザックが目指した形
ザックジャパンについて、少し語りたい。

ザッケローニという人は結構な大物で、もしサッカー戦術史の教科書があれば、必ず名前が載っているだろう人物である。
それは、イタリア式3バックの発案者ということでね。
ミラン、ユベントス、インテルなど数々の名門クラブを率い、ミランではリーグ優勝も成し遂げている。

そういう人を代表監督に迎えたのに、結局ザック式3バックを習得しなかったのは、今になって考えると少しもったいなかった。
いや、そのザックの代名詞ともいうべき343、試してみたこともあるんだよな。

【2011年6月キリンカップ】

・岡崎・・李・・本田
長友・・・・・・・内田
・・遠藤・・長谷部
・伊野波・今野・吉田
・・・・-川島

これを含めて数回試したんだけど、何度やってもうまいことハマらず、そのうちザックもやめてしまった。

今から思うと、あの時はなぜあんなにも3バックがヘタクソだったのか不思議ですらある。
今はJリーグでも3バックが増えてきて、みんな少し慣れてきたのはあるだろうけど、森保ジャパンでも使い分けしてるのを見てるとザック時代ほど酷くはないよ。

ただ↑のを見てると、長友と内田がウィングバックに入ってるのが「もったいない」と感じてしまう。
長友も内田も「サイドバックなのにウィングバックのような働きができる」ところに旨味があった選手なのに、それをウィングバックにすると、そりゃうまいけど普通にウィングバックできて当たり前だよね、としか感じないワケさ。
それこそ3バックにするなら、ウィングバックの位置にウィング置くぐらいのチャレンジをしてほしいものだ。
今の森保さんは、左に原口、右に伊東を置くなどのチャレンジもしている。

ザックの3バックは、かつて彼の指揮したウィディネーゼが最終ラインに退場者を出し、3枚のDF、総勢10名で戦ったのにユベントス相手に圧勝した、ってのが始まりだったと聞いてるよ。
つまり、それまで4人でやってた仕事量を3人でもこなせたことに最大のキモがあるワケさ。
ウィングバックの片方が最終ラインに降りて、暫定4バックで守るのなんて誰にでもできる普通の戦術でしょ?
基本、ザック式のウィングバックは最終ラインをフォローしない→ウィングバックにサイドバック選手を使わない、という「ダニッシュダイナマイト」にしないとほとんど意味ないと思うんだけど。

ちなみにザックは日本代表だと、3バックの右に吉田、左に伊野波、真ん中に今野を配置した。
これって、ほとんどトルシエジャパンの機能じゃん?
右が松田、左が中田浩、真ん中が宮本。
3人の持ち味が、異常に日韓大会の時と酷似している。
ザックの3バックって、実はフラット3だったのか?

私の解釈では、3バックの真ん中は強さに加えてカバーリング能力を担保したタイプで、右と左はセンターバックとサイドバックの両性具有タイプ。
その3人が、ボールの位置によって自在にスライドする。

左を攻められたら
▶▽◀←◀←◀
-↑▲←▲←▲

右を攻められたら
▶→▶→▶▽◀
---▲→▲→▲↑

最終ラインとその一列前のラインが、左右に連動してスライドするのがお約束。
左を攻められたら伊野波が左サイドに出てストッパーとなり、今野と吉田でゴール前を守る。
右を攻められたら吉田が右サイドに出てストッパーとなり、今野と伊野波でゴール前を守る。
これ思うんだけど、右を攻められて吉田がサイドに行ったら、ゴール前の高さがアウトじゃない?
確かに構造上、このシステムには欠陥があったと思う。
システムそのものの欠陥ではなく、人選の欠陥。
というより、何で

伊野波・吉田・今野

という配置にしなかったんだろう?
当時、謎だった。

多分、この3バックはまだ未完、テスト段階だったんだと思う。
だから、色々と妥協があったワケね。
ウィングバックに長友と内田を置いたところにも、それは見てとれる。
ちなみに、ザックは契約満了して帰国する前、興味深い発言をしてるんだ。

「唯一の心残りは、酒井宏樹をセンターバックに仕立てられなかったこと」

これはまだ酒井がマルセイユで覚醒する前の話であり、なぜここで酒井の名前が出てくるの?と当時に違和感を感じたよね。
だけど、一方で私は「なるほど」とようやく腑に落ちたんだ。
多分、ザックの真の構想は右センターバック⇒酒井宏樹だったんだよ。
吉田じゃなくてね。
酒井は、代表メンバーの中でいつもザックに説教されてたと聞くし、それは期待の裏返しだったんだろう。
本当に酒井が劣等生なら23名メンバーから落ちてるはずなのに、でもちゃんとメンバーには入ってたでしょ。

話をまとめると、おそらくザックの本当にやりたかった343は、こうなのさ。

・岡崎・大迫・柿谷
香川・・・・・・本田
・・遠藤・長谷部
・今野・吉田・酒井
・・・・川島

完全にダニッシュダイナマイトだね。
いや、単に私の妄想なんだけど、この布陣にはザックらしいロマンがあるでしょ。
この343を完成させられなかったことは、実に残念である。
2020/5/2(土)13:49

☆関西人
オシムが目指した形
オシムジャパンについて、少し語りたい。
これ未完ゆえ、最も難解だけどね。

オシムの言葉で、大事なキーワードがある。
「中盤を支配するサッカーは時代遅れだ。
今は、サイドを支配するサッカーの時代である」

ジーコから日本代表を引き継いだオシムだが、この言葉には少しジーコジャパンに対する批判が入ってると思う。
ジーコジャパンは、明らかに中盤を支配しようというサッカーだったから。

で、サイドを支配するにあたり、オシムがやったことは俊輔を右サイドに置くことだったと思う。
この右サイドってのがポイントよね。
普通のウィング的機能なら体を前に向けるので、利き足がインサイドになり、ボールロストのリスクが高まる。
だから、これは俊輔にタテの上下動するウィング的機能を求めたのではなく、タッチラインを背負って体をヨコ向きにする司令塔機能を求めたことは明らかである。

普通、司令塔ってトップ下じゃないの?というのが当時の日本の常識だったが、オシムジャパンにおけるトップ下にはヤットが入り、そのヤットはファンタジスタみたく派手なことはせずに、シンプルな繋ぎ役をしてたんだよね。
そのヤットの後方には憲剛が据えられ、その憲剛の所からはメッセージ性のあるパスがバシバシと出てきた。

オシムジャパンは未完ゆえ、その完成形は想像するしかないんだが、私が想像する完成予想図は次のような形なんですよ。

・・・・・ストライカー
エクストラキッカー・・・・エクストラキッカー
・・・・・リンクマン
・・ピボーテ・・ダイナモ
ダイナモ・・・・・・・・ダイナモ
・・ディフェンス・ディフェンス
・・・・・キーパー

「エクストラキッカーはふたりまで」がオシムの原則、そのふたりをどこに置くかと考えたら、やはり「サイドを支配する時代」ゆえ、両翼に置くんじゃないか、と。

・・・・・ストライカー
エクストラキッカー・・・・エクストラキッカー
・・・・・ピボーテ

・ストライカー⇒点を取る
・エクストラキッカー⇒変化を作る
・ピボーテ⇒パスを散らす

ピボーテ⇔エクストラキッカー⇔ストライカーという菱形の中にリンクマンを配置し、彼が各々のサポートをして球を循環させていく。

オシムのイメージの中で、ストライカーは高原だったと思う。
エクストラキッカーは、右が俊輔。
左は主に山岸智を使っていたが、いずれは誰か別の選手をチョイスしただろうね。
最後の方の試合で、オシムは左アウトサイドに松井大輔を試していた。
私は、松井が左エクストラキッカーの本命だったと思うけど。
全体感としてドリブラーが少ないので、ここには仕掛けるタイプが欲しいし。
そしてピボーテは憲剛で、リンクマンはヤット。
「水を運ぶ人」には鈴木啓太。
また、駒野や加地も「水を運ぶ人」だったと思う。

・・・・高原
松井・・遠藤・・俊輔
・・憲剛・・鈴木
駒野-闘莉王-中澤-加地
・・・・川口

オシムのユニークな点は、ヤットを前、憲剛を後ろにした点かと。
後の岡田さん、およびザッケローニは逆に憲剛を前、ヤットを後ろにしている。

ヤットと憲剛の違いは何かというと、私は憲剛の方が「勝負パス」の多いタイプだと思ってるのね。
一方のヤットは技巧よりも戦術寄りの人で、選手配置の把握の方に重きがある。
その資質の微妙な違いゆえ、リンクマンは憲剛よりヤットにし、ピボーテはヤットより憲剛としたんじゃないかな?

まず、ピボーテが正確にパスを通す。
戦術ビジョンあるパスを通せることが前提。
右を使うか左を使うかはその時の状況判断として、そのピボーテとエクストラキッカーとストライカーを線で結んだトライアングルが全ての基本ね。
敵陣には敵の妨害もあり、そんな綺麗にトライアングルで球を回せるワケもないので、必ずリンクマンのサポートが必要。
リンクマンは、その時その時の最適解のロケーションにポジショニングしなきゃならなんから、高次元の空間把握センスが必要だと思う。
で、そういう援護からエクストラキッカーに良い体勢で球を持たせ、敵陣を両サイドから包囲していくイメージね。
敵をヨコとタテに揺さぶり、トライアングルを拡縮し、隙間を作っては侵入、というのを繰り返す感じかな?

想像してもらえば分かると思うけど、こういうのが私は一番美しいサッカーの形だと思うよ。
2020/5/2(土)0:43

☆関西人
設計図
トルシエジャパンの構想は「ダニッシュダイナマイト」、80年代デンマーク代表をモチーフにしていたと言われている。
ラウドルップが活躍してた頃のデンマークだね。

そのダニッシュダイナマイトとは、次のような機能になっていた。

・・ターゲットマン・・ドリブラー
ゲームメイカー・・・・・・ドリブラー
・オールルラウンダー・オールルラウンダー
・・・・ディフェンシブ
ディフェンシブ・リベロ・ディフェンシブ
・・・・・・キーパー

フォーメーションとしては、3-1-4-2という特殊な形になっている。
特徴は、両翼がどちらも攻撃専門となっていること。
SBもWBも存在しない。
トルシエがダニッシュダイナマイトをやりたかった理由は、どうやら日本にSBがいないと見たことが構想の始まりらしい。

そして、ダニッシュダイナマイトの守備的MFは1枚だけ。
思いっきり攻撃偏重のフォーメーションである。
最終ラインの真ん中のリベロは、頻繁にフォアに出て中盤底をカバーする機能らしい。
ということは、実質2バック?
ここまで極端な攻撃偏重は珍しく、実際デンマーク代表は守備の穴を突かれ、大量失点することも多々あったそうだ。
その代わり、攻撃はハマれば破壊力抜群だったらしい。

あれ?
トルシエ代表とは、全く違わないか?
トルシエ代表は2バックでなくフラット3だし、両翼も【ゲームメイカー+ドリブラー】ではなく【ゲームメイカー+バランサー】だし、中盤底も1ボランチでなく2ボランチである。
こういうダニッシュダイナマイトとトルシエジャパンの相違点は、おそらくトルシエ独自の修正だと思う。

まず、ダニッシュダイナマイトの弱点とされるサイドの脆さ。
これを補強する為に、最終ラインをフラット3というラインDFにした。
2人のディフェンダー+リベロという機能でなく、3人のイーブンなディフェンダーでラインDFをさせたんだね。
その元ネタは、クライフバルサの3バック、もしくはザッケローニの3バックのどちらかだと思う。

で、問題は中盤底なんですよ。
ダニッシュダイナマイトは中盤底が1枚なので、最終ラインからリベロがフォアに出て、スペースをカバーする。
だけど、トルシエ代表はフラット3だから最終ラインを頻繁にブレイクはできず、つまりリベロは簡単にフォアに出られないんだ。
よって、トルシエのアイデアは「右アウトサイドをバランサーにして中盤底をケアさせる」というアレンジだった。

それがハッキリと形になったのは、1999年のワールドユースかな。

【1999年ワールドユース】
・・高原・・永井
・・小野・小笠原
本山・・遠藤・・酒井
・中田・手島・辻本
・・・・-南

左アウトサイドの本山は完全なるアタッカーとして、右アウトサイドには当時ジェフでレギュラーを掴んでいたボランチ、酒井友之を使った。
また、それでもなお中盤の強度が足りないと見たのか、やがてトルシエは「日本人に1ボランチは無理」と言い、2ボランチに切り替えることになったのね。
当初、稲本なら1ボランチが可能と見込んでたみたいだが、現実はそうでもなかったみたい。
で、試行錯誤の末、たどり着くのがこの形。

【2000年アジア杯】
・・高原・・西澤
・・・・森島
俊輔・名波-稲本・明神
・服部・森岡・松田
・・・・川口

これでアジア杯優勝を成し遂げた。
ところがその喜びも束の間、例の「サンドニの悲劇」を経て、中盤底は名波から戸田にスイッチされ、さらに硬度を高めることになる。

【2002年日韓ワールドカップ】
・・柳沢・・鈴木
・・・・中田
小野・戸田-稲本・明神
・中田・宮本・松田
・・・・楢崎

俊輔から小野に変わった意味は何かというと、小野は俊輔の役割を引き継ぐのと同時に、名波の役割も引き継いだワケよ。
俊輔が「左サイドの攻撃的MF」だとすりゃ、小野は「左サイドの攻撃的MF兼攻撃的ボランチ」みたいな役割だったかと思う。
また、戸田が入って潰し役を託せるようになった稲本は、アジア杯におけるモリシの役割まで少し担うようになった。
みんな、微妙に機能のマイナーチェンジがあったんだね。

トルシエ代表の面白いところは、こういうマイナーチェンジが毎年のようにあり、「ダニッシュダイナマイト」という原型からどんどん乖離していったことさ。
そんな設計図通りにチームは完成しないもんだよ。
設計図は実地検証を経ることで問題点を洗い出し、時には描き変えなければならない。
思い出してみてほしいんだけど、あまり描き変えなかった設計図の代表ほど、最後はコケた気がしない?

じゃ森保ジャパンって、どうかな?
まだ、ぺトロビッチの設計図から脱皮できてない気もするよね。
2020/5/1(金)20:05

☆関西人
トルコ戦の憂鬱
トルシエジャパンの話。

トルシエの成功した部分については、今回は除外。
それより、トルコ戦は何であんなスタメンにしたの?という部分について語りたい。

まずは、日韓大会のレギュラーフォーメーション。

・・柳沢・・鈴木
・・・・中田
小野・・・・・・明神
・・戸田・・稲本
・中田・宮本・松田
・・・・楢崎

厳密には当初リベロは森岡先発だったんだが、足を傷めて宮本にスイッチした。

色々トラブルあったんだよね。
まず、エースFWの高原がエコノミー症候群を患って離脱。
それから、大会直前に小野と西澤が虫垂炎に。
普通、あり得る?
ふたり同時期に虫垂炎って、伝染病じゃないんだから。
小野はクスリでごまかして手術回避したみたいだけど、西澤の方は手術をしちゃったみたい。
もうこの時点で、西澤は戦闘値20%ダウンですよ。
それでも、なぜか23名メンバーから外さなかったのが不思議。

で、上記のフォーメーションでグループリーグを突破し、決勝トーナメント、対トルコ戦でトルシエは次のフォーメーションにしたんだ。

・・・・西澤
・・三都主・中田
小野・・・・・・明神
・・戸田・・稲本
・中田・宮本・松田
・・・・楢崎

えぇ〜っ?と驚いた。
虫垂炎手術後の西澤が先発に入ってる!
あと、三都主がなぜか2列目に入ってる!

普通、「勝っているチームはイジるな」が原則、結果を出したGLの布陣をそのまま決勝トーナメントにぶつけてくるもんである。
それが、思いっきりトルシエはイジってきた。

後で聞くと、どうやら柳沢が傷んでたみたいだね。
でも鈴木は傷んでなかったはずで、なぜ鈴木を出さなかったのかはよく分からない。
ちなみに、あとFWで残ってるのが虫垂炎手術明けの西澤、そして戦力というよりはモチベーター枠として召集されたであろう中山雅史。
鈴木+西澤?
鈴木+中山?
西澤+中山?
と色々考えるとコンビのイメージがどれもしっくりこず、結局西澤1TOPがマシだと考え至ったんだろうね。
じゃ、せめて西澤1TOPなら相棒のモリシを先発させろよと思うが、なぜそうしなかったのかも謎。

そもそも三都主は左アウトサイドのスペシャリストであり、シャドーなんて練習でもやってなかったんじゃないだろうか。
何なんだろう。
敵のスカウティングを欺く、一種の奇襲作戦だったのか?
で、その奇襲は空振りに終わり、結局三都主は前半だけで退くんだけど。

後半からは西澤+鈴木の2TOPになり、また右アウトサイドに市川が入った。
今度は左からでなく、右をエグろうという判断?
しかし、それも空振りに終わり、その市川を下げてモリシを入れるというのがトルシエの選んだ最後のカードだった。
これには、納得いかなかったよな?
普通、交代で投入した選手をまた交代させるのはあり得ない。

全ては「柳沢を使えない」という一点から
始まったボタンの掛け違いだと思うが、そうなった時には鈴木以外が虫垂炎手術明けと老兵、それしか選択肢なかった時点で辛かったよな。

練習で試したことない形を本番でポンとやるのはサッカーで珍しいことじゃないが、多分、トルシエも前の晩にひとりで悶々と考え、「おぉ!これだ!」と勝手に盛り上がっちゃったんじゃない?
深夜に書いたラブレターみたいなもんですよ。
日をおいて冷静になって読み返してみたら完全にアウトな内容なんだけど、この時はこれだ!と思ったんだろうね。

じゃ、あの時はどういうスタメンで臨むべきだったのか。
問題は、西澤の状態次第。
西澤が動けるなら、これだろう。

・・・・西澤
・・森島・・中田
小野・・・・・・明神
・・戸田・・稲本
・中田・宮本・松田
・・・・楢崎

実績のある形である。
もし西澤の無理がきかない場合は、これだ。

・・中山・・鈴木
・・・・中田
小野・・・・・・明神
・・戸田・・稲本
・中田・宮本・松田
・・・・楢崎

中山+鈴木、おそらく歴代No1で足下の技術がない2TOPだろう(笑)。
でも、術後で激しく動けない西澤より、ヘタクソでもイイから走れる2TOPの方が良かったかもしれない。
老兵とはいえ、ゴンはまだリーグで毎年二桁得点してたからね。

私は、やり方次第でトルコ戦は勝てた試合だったと思ってるよ。
2020/5/1(金)16:58

☆関西人
ジーコジャパンの本質
ジーコは、当時Jリーグで評価の高かった闘莉王を召集しなかった。
ジーコジャパンのレギュラーCBは、宮本、中澤、坪井、田中誠あたりだった。
松田直樹も、なぜか外れてたんだよね。
一説には、闘莉王や松田の激昂しやすい性格を警戒していたという話もある。
いくら能力が高かろうと、イエローやレッドを貰うタイプはNG。
当初は大久保をあれほど評価しつつ、やがて呼ばなくなったのもそれだろうね。

ジーコという人は、リスク管理をするタイプの指導者だった。
その一例として、「つるべの動き」という基礎を徹底させていた。
これはSBの右が上がれば左が下がり、左が上がれば右が下がるという法則である。
彼の後任となるオシムは左右が両方上がる「リスクチャレンジ」を許容したが、ジーコは許さなかった。
CBにはチャレンジ&カバーで、「必ずひとり余れ」と指示していた。
前任のトルシエがやっていたフラットなラインはNGとされた。
ジーコは攻撃的な選手だったくせに、監督としてはかなり保守的な考え方だったんだね。

こうしてリスクチャレンジを封じる以上、攻撃において数的優位を作ることは難しくなる。
リスクを張ってひとり上がったら、誰かが下がってその空いたところをカバーしたりする以上、そりゃ数的優位になりにくいわ。
だからこそジーコの戦術では、MFがひとりでふたり以上を相手にし、それを技術で突破することにより数的優位を作るという高難易度のことをやらせてたワケよ。
ある意味、その為の「黄金の中盤」だったとも言える。

あともうひとつ、ジーコが黄金の中盤を用いた理由はポゼッション率を上げる為だろう。
サッカーというのは、ポゼッション率100%ならば絶対に点を取られない。
攻撃は最大の防御という話で、攻撃選手にできる守備貢献は球をロストしないこと、という考え方だね。
また難しい要求を…。
話をまとめると、ジーコは後ろの選手に対しては安全優先、リスク管理徹底をさせ、前の選手に対しては数的不利の中、高いポゼッション率を実現できるだけの高い技術を求めたワケだ。

リスク管理として守備にある程度の人数をかけるのは別にイイとして、問題は攻撃だよな。
ジーコジャパンって、今より遥かに遅攻だったと思う。
行って、詰まって、戻して、というのを何回も繰り返していた。
膠着が多かった。
なんていうかな、中田も俊輔も柔道でいうところの「一本」を狙ってるようなところがあって、大技狙うからこそ膠着するんだよね。
今のサッカーって、あまり「一本」狙わないでしょ?
局面ごとに「有効」を取りに行くみたいなやつの連鎖で、その合わせ技で勝ちにいく感じ。

「一本」といえば、それこそ最たる例がフリーキックですよ。
俊輔を主軸にしてたのは、半分ぐらいはプレイスキッカーとしての意味があったんじゃないだろうか。
鈴木隆行などは被ファウルの天才であり、あんなゴツい奴があんな簡単に倒されるワケないんだけど、大袈裟に何回も何回も倒れてたね。
あれ、ほとんどシミュレーション取られなかったのが今となっては不思議である。

思えば、ジーコジャパンのドイツ大会、鈴木隆行がメンバーにいた方が良かったのかもね。
彼の得点力は屁みたいなもんだが(Jリーグで二桁得点は一度もない)、ただし被ファウルに関しては日本屈指である。
彼が代表のスタメンに出る大会、コンフェデ準優勝、日韓ワールドカップベスト16、アジアカップ優勝、なぜか毎回結果が出るでしょ。
例のドイツ大会オーストラリア戦、後半に小野投入でなく鈴木投入なら、彼がまた倒れ、最後俊輔のフリーキックでオーストラリアを突き放せたかもしれないのに…。
2020/5/1(金)14:57

☆関西人
難問
那須チャンネルに、福西が出てる回があった。
福西は最近、自分でもYouTubeチャンネルをやっていて、そこでは小野をゲストに呼び、2006年ワールドカップ豪州戦を振り返るなどの企画をやっていた。
福西と小野、ふたりして悶々とする回で、見てて辛くなるけど興味ある人は見てみて。
小野が、なぜ自分が後半の危機に投入されたのかに戸惑っていたことを明かしており、非常に興味深いよ。

福西、爽やかヤクザの異名をもつ武闘派である。
彼は代表において、黄金世代の稲本とバッティングしていた。
福西は愛媛の無名選手で、ジュビロのスカウトがたまたま見つけた存在だったのに対し、稲本はガンバユース育ちで英才教育を受けてきたエリートであり、ふたりはかなり対照的な経歴である。
これは、FWにおける久保竜彦と高原の関係性にも似ている。
久保も福岡の無名選手だったのに対し、高原は静岡の超エリートだったもんね。
福西にせよ久保にせよ、こういう無名選手がチョイスされたのは、その類い稀な身体能力ゆえである。
福西と稲本を比較すれば、キック精度などのスキルは稲本に軍配が上がる。
ただし、跳躍力など基礎的身体能力は福西に軍配が上がる。
だから、どちらが上かの評価は人によって分かれるだろう。

トルシエは、稲本を選んだ。
日韓ワールドカップ時の稲本は、ボランチというより欧州の概念でいうところのセントラルMFだったと思う。
一方、ジーコは福西を選んだ。
ジーコのボランチの概念では、セントラルMF型の稲本より福西の方がしっくりきたのかもしれない。
なんせ、福西の原点はドゥンガだからね。
ただし、その福西と代表でコンビを組んだのが中田英寿であり、彼もまたボランチというよりセントラルMFの概念で動く選手だったがゆえ、ふたりの間で考え方にズレが生じた。

名波いわく、福西は「動かないボランチ像を確立した男」。
いや、ホントはちゃんと動いてるだけど、ボランチが2枚とも動きすぎてバイタルを空けるのはマズイだろ、という考え方だったのかと。
一方、中田はセントラルMFがふたりとも連動して動き、敵ボールホルダーめがけて網を圧縮していく考え方である。
空いたバイタルは、アウトサイドがスライドして埋めるような考え方だったんじゃないだろうか。

別に、どっちが間違ってるワケでもない。
今なら我々もそのへんが理解できるんだけど、当時としてはあまりにも難しいゼミだったんだよ。
教授は生徒たちだけで解答を導き出すことを期待してたのか、なかなかディスカッションに入ろうとしない。
それはまさに大学のゼミみたいなもんで、当時の日本サッカーはまだ一方的に受講することにしか慣れてない高校生レベル、ジーコが期待する水準には達してなかったんだと思う。
今なら、福西をアンカーにして中田をインサイドハーフにすりゃイイじゃん、ぐらいの解答は普通に出せると思うんだけどさ。
今でも、一部海外の指導者からは「日本のボランチは動きすぎる」とお叱りを受けることがある。
一方、MFがたくさん走ることを奨励される空気もある。
案外これ、難しいディスカッションなんだよ。

その後ジーコのゼミは、豪州戦の後半に小野投入という超難解なお題を与えられ、これまた混乱したワケよ。
福西は「後ろの選手を入れてほしかった」と言い、また小野は「前線の選手を入れてロングボールの起点を潰す考え方もある」と思っていたようだ。
どっちにせよ、中盤の選手はないよな、と。
これを「ジーコの采配ミス」と総括するのは簡単である。
事実、多くの人がそういう総括をしている。
でも、ホントにそうだったのかな?

ちなみに小野はピッチに入る際、具体的なポジションを指示されなかったという。
だから小野がボランチに入って中田が上がるのか、それとも中田はそのままで小野が前に入るのか、それすら曖昧だったらしい。
とりあえずポゼッション率を上げて、豪州にロングボールを蹴らせないようにしたかった狙いみたいなんだけど、結果として中盤に入った小野の頭上をロングボールが飛んでいくばかり。
そもそも小野を入れる為に柳沢を下げたこともあり、ロングボールの起点を抑える役割は高原ひとりに減っていて…。

一方、選手たちの中でも「攻撃が最大の防御」という考え方があったのも事実のようだ。
そんな中で中庸ともいえる小野が入ったもんだから、これは意思統一が難しいよね。
全部終わった今、何を言っても後出しジャンケンである。
「ドーハの悲劇」と同じで、今なら何とでも言えるさ。
でも私はジーコが16年前に出したお題、メチャクチャ難解だと思うよ。
2020/5/1(金)12:30

☆関西人
天才
那須チャンネルの話。

大久保嘉人、柿谷曜一朗のふたりが出演した回は良かったね。
このふたりが師弟関係で、そんなにも深い絆で結ばれてるとは知らなかった。
柿谷は先輩に対してタメ口でかなり生意気なこと言うんだが、大久保はニコニコしてそれを受け入れている。
良い関係性だよなぁ。

那須を交えた3人のトークの中で、大久保は柿谷を評して「間違いなくJリーグの中で曜一朗が一番うまい」と言っていた。
柿谷が一番うまい?
まぁ、これも一種のリップサービスかな?と思い、その時はさほど気に留めなかったんだけどさ。

また別の回でのこと。
その回の那須チャンネルは乾貴士がゲストで、「セレッソの育成を語る」という企画だったんだ。
乾はセレッソで一緒にプレーした同僚たちのストロングポイントを那須から聞かれ、それにひとつひとつコメントしていった。
内容は、次の通り。

・香川真司⇒得点に絡むスキルが凄い。
・清武弘嗣⇒万能、何でもできる。
・柿谷曜一朗⇒一番天才。
・南野拓実⇒負けん気が強さが最大の武器。

ちょっと気になるのは、柿谷の「一番天才」ってところだよね。
那須もそこは気になったのか、柿谷のどういうところが天才なの?と聞く。
乾は「いや、曜一朗は俺が今まで見てきた中で間違いなく一番うまい選手ですよ」と言う。
ちょっと意外なアンサーでしょ?
驚いたことに、乾は大久保と全く同じことを言ったワケよね。
「曜一朗が一番うまい」と。
特に、技巧については神レベルの乾がそこまで言うんだから、柿谷とは一体どういう選手なんだろう、と思ってしまう。

多分、同じピッチに立った選手だからこそ知り得る部分があるんだろうね。
ともにプレーした選手が持つ情報量は、我々観戦者が持つ情報量の何十倍にもなるだろう。
そういう人たちが「間違いなく一番うまいのは曜一朗」と言うんだから、それはそうなんだと思う。
大久保は、曜一朗は間違いなくMVPを獲れる能力があると言ってた。
また乾は、宇佐美や久保くんと比較しても曜一朗が一番うまい、と断言していた。

ただ、いくらうまくとも試合に出ないことには何も始まらんからなぁ。
セレッソの監督はロティーナで、何より守備を大事にする人だ。
奥埜のような守備的MFにも近いタイプの選手をFWで先発起用してるんだから、今季も柿谷の出場機会は限られるんじゃないの?

柿谷は、タイプとして最も近いのがロベルトバッジオだろう。
現代サッカーにおいて、このての天才を使うのはなかなかの挑戦である。
今さら、柿谷に守備の達人となることを求めるのは酷。
彼には彼にしかできない仕事をしてほしいワケで、となると、ポジションはやっぱり最前線、それも2TOPにしてフリーに走らせるのが一番イイと思うんだけど。
でも今の時代、FWに求められるのはハイプレスの先鋒役であり、ロマンを優先した柿谷+西川潤の2TOPなど馬鹿げた幻想かもしれない。
いや、お隣のガンバでは宇佐美がFWで先発してるんだが…。
2020/5/1(金)9:06

☆関西人
韓国の底力
最近、GYAO!で映画を観る機会が増えた。
これ、全て無料で映画を観られるところがイイよね。

で、先日見たのは韓国映画で「弁護人」というやつ。
韓国映画では毎度お馴染みのソンガンホ主演、韓国国内で記録的大ヒットをした作品らしい。
法廷ドラマだ。
内容は、ひとりの弁護士が国家権力を相手に法廷で闘うというドラマである。
うん、ありがちなストーリー。
しかし実話らしく、舞台は80年代。
当時の韓国は学生運動が盛んだったらしく、その思想取り締まりとして警察が多くの学生たちを逮捕、勾留、拷問までしてたらしいのね。
で、主人公のソンは弁護士として義憤し、警察の横暴を法廷で糾弾するんだけど、裁判官は国家権力に従順で真実を認めようとしない。
法廷に拷問の決定的な証拠を掴む証人が出廷したところで、最後は警察の陰謀でその証言は削除されるワケね。
もうね、韓国の法廷は完全に腐ってるのよ。

オチとして主人公ソンは裁判に負けるんだけど、世の中はみんなどっちが正しいを分かってますよ、みたいなムードで映画は後味よく終わっている。
一応、ハッピーエンド。
で、この話は実話であり、この主人公ソンはその後どうなるのかというと、映画の中では全く触れられてないけど、実は後に韓国の大統領にまでなるのさ。

そう、実はこの映画、盧武鉉大統領の若かりし日を描いた伝記なのね。
じゃ、完全にサクセスストーリー、完全にハッピーエンドじゃないか、と言いたいところだが、よくよく考えると案外そうでもない。
というのも、この盧武鉉大統領、最後は贈収賄やら何やらの疑惑で検察に追い込まれ、結局自殺してしまったんですよ。
この「弁護人」という映画自体、警察側が証拠とか捏造してシロをクロにしてしまう一部始終を描いてるドラマの内容なもんだから、現実に盧武鉉の贈収賄もどこまで真実か怪しく思えるし、そもそもホントに自殺だったのか、とさえ思えてしまう…。

総じて感じるのは、韓国って恐いな、ということ。
官僚や財閥など、エリートだけがメッチャ強い。
たとえエリートは間違いを犯しても、それは咎められない。
極論すれば、人を殺しても咎められないかも。
逆に、民は冤罪であろうと拷問で自白を強要されるし、身に覚えのない証拠も捏造される。
全く民主主義は成立してないんだよな。
いや、厳密には憲法が民主主義を唱ってるんだけど、そんなのはあまり意味をなしてないさ。
裏を返すと、韓国って国家権力というリーダーシップが圧倒的に強いのね。
いちいち手続きを踏まず、唯我独尊でやっていく。
だからなのか、コロナ禍への対応を日本より迅速にやれてるのは、そこが理由としてあるんじゃない?
きっと、国家権力を縛るモノが少ないんだろうね。

思うに権力の強さって、それを規制する力があるかどうかで決まってくると思うのよ。
皮肉な話、民が強ければ王の力は弱くなる。
逆に、民が弱ければ王の力は強くなる。
近年、日本企業が韓国企業に負けたりしてる傾向も、それは指導部の力の差というのがないか?
たとえば、田嶋会長と鄭夢奎会長がガチの勝負をして、田嶋さんが勝てると思うかい?
絶対無理だよ。
それは田嶋さんの能力の問題ではなく、権力基盤の問題である。

韓国は本質が右、すなわち保守で、日本は本質が左、すなわちリベラルである。
我々はリベラルの恩恵に預り、あまり弾圧されることなく日々を穏やかに生きているが、それが裏を返して国の弱さになってる部分もあるかもしれない。
いやね、私は民の権利を奪ってもイイから国が強くなってほしいとは微塵も思わんし、民の権利を守る為なら、むしろ国が弱くても構わんとさえ思うのよ。
軟弱かもしれんが。

【森保ジャパン】
対韓国戦⇒1敗

【ハリルジャパン】
対韓国戦⇒1分け1敗

【ザックジャパン】
対韓国戦⇒3勝1分け

【岡田ジャパン】
対韓国戦⇒1分け2敗

【オシムジャパン】
対韓国戦⇒1敗

【ジーコジャパン】
対韓国戦⇒2勝1分け1敗

【トルシエジャパン】
対韓国戦⇒1敗

ここ20年で、A代表の日韓戦戦績は5勝4分け7敗だ。
いまだ、日本は韓国に負け越してるんだね。
そうか。
ザックジャパンとジーコジャパン以外、勝ってないのか…。
2020/4/30(木)17:43

☆関西人
鎌田大地
最近、サガン鳥栖の経営危機が報道されてるね。
20億以上の赤字とのことで、平常時ならまだしも、このコロナ禍でどの企業も守りに入ってるご時世、サガンに手を出そうとするスポンサー企業なんてないかもしれない。
今思うとサガンは、Cygames、DHCにスポンサーから降りられたことが致命的だった。

しかし、皮肉なもんである。
Fトーレスの件は済んだこととして、今サガンにはちゃんと若手が育ってるんだよな?
今季からFC東京に移籍した田川享介、あと松岡大起、このへんの東京五輪候補はサガンのユースから出てきた選手である。
つい数年前まで鎌田大地もここの選手だったワケで、サガンは日本サッカー界にて若手輩出という一定の役割を担ってきたクラブだと思う。

思えば、鎌田ってもともとはガンバJr.ユースだったんだよな?
ガンバJr.ユースからユース昇格失敗した選手は他にも本田や昌子が有名だが、そこから這い上がってくる選手が多いのも事実である。
サガンも、良い選手を拾ったもんだよ。
いまや鎌田は、日本人で数少ない四大リーグのプレーヤーだからね。
近くに長谷部がいてくれていることも心強いし、今後さらに化ける選手かも。

今回は、この鎌田大地のことを少し書いておきたいと思う。
こいつ、なかなか挫折の多い選手だと思う。

@ガンバJr.ユースからユース昇格失敗。
Aサガンで活躍するも、リオ五輪代表には落選。
Bフランクフルトに移籍するも、戦力外としてシントトロイデンに飛ばされる。

だけど、こうした挫折を一個一個クリアし、着実に階段を上ってきている。
ある意味、本田に通じるものがあるな…。

彼は本職が攻撃的MFであり、代表ではトップ下の南野とポジションがカブるだろうか。
よって、何試合か彼は1TOPで起用をされてるんだ。
たまたま、1TOPの大迫が不在。
その穴を埋めるのに、ある程度サイズがあり、ベルギーで得点を量産した実績のある鎌田に白羽の矢がたつのも不思議ではなかった。
結果は、微妙なものだったけど…。

ただ、アジア予選のタジキスタン戦は、鎌田1TOP、南野はトップ下にというマイナーチェンジが生じたんだよね。
これは森保さんの指示なく選手側が勝手にやったことらしいが、試合の流れの中で鎌田と南野はポジションを入れ替えたんだ。

【タジキスタン戦】

・・・・南野
中島・・鎌田・・堂安
・・柴崎・・橋本
長友・吉田-植田・酒井
・・・・権田

これ、大迫不在時のオプションとして、ありなんですよ。
イメージは、ザックジャパンに近いね。

・・・・柿谷
香川・・本田・・岡崎
・・遠藤・長谷部
長友・森重-吉田・内田
・・・・川島

セレッソのファンタジスタ系FWを前に置き、その後ろにガンバユース昇格失敗系MFを置くという共通コンセプトです(笑)。
だんだんと日本代表にパサーが目立たかなくなってきている現状、私は鎌田をトップ下に組み込んでみるのは全然ありだと思うよ。

その鎌田が今後、古巣サガンの危機にひと肌脱ぐ、とかの展開はあり得ないかな?
確か中田英寿なんかは、古巣ベルマーレの持株会に協力するなどをしてたと思う。
誰だって、自分を育ててくれた古巣には潰れてもらいたくはないもんさ。
いや、鎌田はちゃんと3億ぐらいの移籍金をサガンに置いていったんだっけ。
でもそれも、あとかたもなく消えてしまったようだ。
自らの力で数々の挫折を乗り越えてきた鎌田からすると、今のサガンに対しては「自分で何とかしろ」と思ってるかもしれないね。
2020/4/30(木)13:43

☆関西人
桜ブランド
FWの桜ブランドについて。
セレッソの前身はヤンマーであり、そこのレジェンドにあの釜本邦茂がいるんですよ。
日本サッカー史におけるFW最高峰。
で、近年のセレッソでその系譜に一番近いのが、西澤明訓じゃないだろうか。
釜本さんのプレースタイルまではよく知らんのだが、何となくね。

西澤はデカくて足下が巧いタイプで、今でいうと大迫に近いかな。
テクニシャンで、ボレーがメチャクチャ巧かったと思う。
天才肌だった。
常にユニの襟が立っていた。

有名な話、彼は久保竜彦と生年月日が同じだったんだよね。
ふたりとも1976年6月18日生まれ。
かたや西澤は高校時代から名の知られた静岡のサッカーエリートで、数々のクラブからオファーがあったという。
かたや久保は福岡の無名選手で、知人のツテでサンフレッチェの入団テストを受けた経緯らしい。
経歴はだいぶ違うが、ふたりともポジションはFWで、サイズもほぼ同じ。
やはり生年月日が同じだと、占星術的に運命は引き合うのかな?
こういう生年月日合致ケースは本田と家長のもそうなんだけど、彼らにしてもポジションがカブってたよね。
まぁ、それはそれとして、代表で西澤+久保の2TOPは無かったと思う。
仮にあったとして、スゲー相性悪そう(笑)。
ちなみに、このふたりは血液型も同じらしいけど。

で、こういう風に西澤⇔久保というセレッソ⇔サンフレッチェの相関があるとして、もうひとつ次の世代にいくと、これが大久保嘉人⇔佐藤寿人という形で受け継がれるのよ。
確かJリーグ通算得点は、大久保が1位で寿人が2位だったよね。
これも良いライバル関係だわ。
で、そこからもうひとつ次の世代にいくと、南野拓実⇔浅野拓磨かな?
こんな風に考えていくと、もうキリないわ(笑)。

さて、桜ブランドに話を戻そう。
釜本⇒西澤という系譜は、完全に途切れてるよね。
杉本健勇は、あんな感じだし。
桜の真打ちは西澤でなく、そのパートナー、モリシの方、つまりセカンドストライカーの方である。
今さら言うまでもなく、大久保、香川、乾、清武、柿谷、南野など、このての技巧派はセレッソからどんどん出てきてるからな。

あまりよく知られてないけど、実はヤンマーにおける釜本さんにも、西澤にとってのモリシみたいな存在といえる無二のパートナーがいたんだよ。
その人の名は、ネルソン吉村。
日系ブラジル人プレーヤーである。
私は見たことないが超絶なテクニシャンだったみたいで、彼と釜本のコンビは当時敵なしだったみたいだね。
吉村さんは引退後にヤンマーの監督になり、そこで育てられたのがモリシだった、とのこと。
つまり香川や南野らのルーツを辿っていくと、最終的には伝説のネルソン吉村にまで行き着くワケね。
吉村さんはヤンマーがセレッソになって以降も、統括部スカウトなどをやってくれていたらしい。
残念なことに2003年に亡くなってしまったが、彼の功績は日本サッカー殿堂入りという形で讃えられている。

セレッソの今の期待は、もちろん西川潤だよね。
言わずと知れた18歳の天才レフティFWだが、彼もまたネルソン吉村の系譜なのか?
それとも、釜本の系譜?
西川の身長は180cm、サイズでいうと西澤と同じなので、ちょっと分かりにくいなぁ。
2020/4/30(木)10:45

☆関西人
鹿+磐コンビ
FWの鹿ブランドの中で、私は歴代最高級ともいえる才能が柳沢敦だったと思う。
トルシエに愛され、ジーコにも愛され、ドイツ大会の時は骨折が癒えて間もないのに先発起用をされていたほどである。

彼のどこが凄かったかというと、フィニッシュの精度以外の全てだろう。
特に、敵の裏を取るセンスが抜群。
誰より速かった。
足の速さは並だったと思うが、動き出しが速いから面白いほど裏へ抜けられるんだよな。
スルーパスの名手たちは皆、口を揃えて柳沢の動き出しを絶賛した。
彼の代表における活躍時期が、中田英寿の活躍時期とほぼカブっているのは偶然でもないさ。
06年に中田が現役引退した途端、柳沢は代表と縁遠くなってしまったワケだけど。
彼は、スルーパスの時代のFWだったかもしれないね。

で、上田もまた裏を取るのがうまく、柳沢に近いキャラだと感じる。
だけど、森保さんは上田のことを「久保竜彦以来の逸材」と言い、みんな「はぁ?」と思っただろう。
上田、久保のスタイルに似てるか?と。
誰かサンフレッチェ系の選手になぞらえたかったのだとするなら、まだ佐藤寿人以来の逸材とか言われるなら分かるんだけど…。

でも、森保さんが敢えて久保竜彦になぞらえたというのは、上田の本質って実は身体能力系なのかもしれないね。
そういや、以前にテレビで東京五輪世代の若手選手たちで座談会みたいな企画をやってるのを見たが、そこで「上田の凄いところは何?」という話題で、答えは「身体能力」という話になってたんだよ。
跳躍力とか、かなりエゲツないらしい。

さて、磐ブランドの歴代最高級といえば誰だろう。
やはり、高原直泰かと。
彼の場合は、柳沢よりもストライカー色が強いタイプだった。
右足でも左足でも頭でも得点を狙えて、自らドリブル突破することもできたし、ポストプレーもできた。
まさに万能ストライカー。
代表では柳沢、あるいは鈴木と組むことが多かったが、高原は鈴木と組むことを嫌がってたみたい。
鈴木が動きすぎるもんだから、高原が勝負するスペースを消してたんだね。
一方、柳沢とはやりやすかったようだ。

その高原の再来ともいうべきが小川航基なんだが、同僚として高原をよく知る名波が監督として小川を指導した際には、結構辛い評価だったよね。
高原なら言わなくてもできていたことを、まだ小川はできてない、と。
どうやら小川の本質は、「俺にパスを出せ!」というKINGキャラっぽい。
シュートバリエーションは「高原より上」らしいけど。

かつての柳沢+高原というのは歴代でも最高位の2TOPだったといえるワケで、私はまた鹿+磐、上田と小川を2TOPで組ませてみるのもありだと思うなぁ。
あまり森保ジャパンって2TOPやらないんだけど、私は絶対この組み合わせは悪くないと思うんだけど。

・・小川・・上田
・◯◯・・・・◯◯
・・中山・田中碧
杉岡・板倉-冨安・橋岡
・・・・大迫

・・小川・・上田
遠藤・・◯◯・・相馬
・・中山・田中碧
・板倉・冨安・渡辺
・・・・大迫

柳沢はアントラーズでは小笠原というパサーに恵まれ、高原は磐田で名波というパサーに恵まれ、またふたりとも代表では中田・俊輔・小野などの天才パサーに恵まれた時代だったよね。
スルーパスには、やはり2TOPが似合う。
で、東京五輪代表にはあまりパサーがいないんだけど、↑の◯◯に誰を入れるかが頭の痛いところである。
2TOPの動きがちゃんと見えてる、視野のある選手が必要なんだ。
う〜む、久保くんかなぁ…。
2020/4/29(水)22:06

☆関西人
ブランドFW
東京五輪代表、FWのエース候補として挙げられている小川と上田。
今季は小川がジュビロに復帰、そして上田もアントラーズで出番が増えるだろうから、私はふたりの成長を楽しみにしてたんだよね。
それが、このコロナ禍…。

FWといえば、やはり鹿磐である。
2大ブランドと言ってイイ。
いや、それにセレッソを加えて3大ブランドかな?

【鹿ブランド】
@柳沢敦・鈴木隆行の時代
A大迫勇也の時代
B上田綺世の時代へ…?

【磐ブランド】
@中山雅史・高原直泰の時代
A前田遼一の時代
B小川航基の時代へ…?

【桜ブランド】
@西澤明訓・大久保嘉人の時代
A柿谷曜一朗・南野拓実の時代
B西川潤の時代へ…?

イメージ的には
・鹿ブランド⇒ポストプレー型
・磐ブランド⇒フィニッシャー型
・桜ブランド⇒テクニシャン型
って感じがするわ。

2TOPが主流の時から、この3つのうち2つを選抜して組み合わせるのが主だったと思う。
ただし今は1TOPが主流の為、桜ブランドは中盤やアウトサイドに回される傾向かもしれない。

今のA代表では、鹿ブランドの大迫が軸だね。
じゃ、大迫が不在の時はどうしてるのかというと、なぜか永井謙佑を主に使っている。
鹿、磐、桜、いずれにもタイプが似てない選手だ。
スピード特化型の選手である。
あぁ、でも森保さんはサンフレッチェの時から浅野拓磨を使ってたもんなぁ。
足の速さで最終ラインと勝負するタイプ、好きなのかもしれない。

あとひとつ言うと、永井の走力で前から守備をすることを求めてるかもしれないね。
いわゆる、ディフェンシブFW。
昔は走るタイプほど敵の足が止まる終盤のタイミングに投入したもんだが、今はレスター時代の岡崎がいい例で、むしろ逆にスタメン起用されたりもするんです。
確か、森保ジャパンでも前田大然を先発させたけど大然は点を取らず、終盤から入った上田の方が得点を量産した試合があったかと記憶する。
これは大然ダメじゃん、ではなく、そういうゲームプランなんだろう。
「ちゃんと相手を弱らせておいたぞ」というやつだ。

でも、永井じゃ大迫みたく敵を背負いながらも球をキープする芸当はできないじゃん、と言いたい人もいるだろう。
うん、その通りさ。
大迫みたいな芸当は、誰にでも簡単にできることじゃない。
とはいえ、球を高い位置でキープしなきゃならない一定のニーズが試合の中にあるのも事実で、そこをどうすべきか、というのが課題。

これを考えるのに、まず大迫がまだ代表で重用されてなかった頃、一体誰が1TOPを主に務めていたかを思い出してみてほしい。
第二次岡田ジャパンの頃の話だね。
本田圭佑?
いや、確かにワールドカップ本番は本田だったけど、実はアジア予選段階の1TOPレギュラーは玉田だったんだ。
ドリブラーの玉田が1TOPというアイデアが面白いね。
でもこれが結構ハマっていて、玉田は敵陣深い位置で球を圧倒的にキープしてたんだよ。
それは大迫のように体躯とパワーでキープするのでなく、卓越したドリブル技術でキープしてたんだ。
つまりキープの方法論はひとつではなく、色々なやり方があるということだな。

じゃ、今だって大迫不在時を想定するなら、ドリブラーは使えるんじゃない?
幸い、玉田に匹敵するほどのドリブラーが今は豊富にいるんだし。
たとえば、中島や南野や堂安あたりはそれと言えるんだから、彼ら2列目がドリブルでキープし、1TOPには起点となるキープなんぞ期待しない、ってのはどう?
1TOPには、敢えて別の仕事をやってもらうのもありなんだよ。
とにかく走り回って、敵DFラインを消耗させるとか。

私は、A代表なら永井、五輪代表なら大然あたりの無印ブランドを先発起用するアイデア、ありだと思うね。
無印には守備と敵を疲弊させることに専念させ、後半の勝負所のタイミングで、鹿、磐、桜、いずれかの本家ブランドを投入する。
そもそもディナーのメインディッシュは、必ず前菜とスープの後に出てくるもんですよ。
2020/4/29(水)13:57

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