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過去ログ449 2014/7/2 0:53

☆関西人
次期監督A
本日、日本サッカー協会技術委員会の臨時会議が行われたという。
原さんは「方向性は間違ってない」と述べたそうだ。
ただ、「もっと引き出しを増やすべき」「もっと激しさを出していくべき」という話にもなり、その激しさという件ではJリーグのファウル基準はいかがなものか、という話にも及んだらしい。
↓のアギレの件も含めて、ひょっとすると今後は「ガツガツ削る」がひとつのトレンドになるかも…?
怪我人増えそう。

しかし、↑の「方向性は間違ってない」にはキレるサポもいるだろう。
「間違ってるぅ〜!」と叫びたい人も多いんじゃないかと(笑)。
最近は「原、責任とって辞めろ!」という世間の声をよく聞く。
でも、正直そこが難しいところなんだよねぇ…。
我々に公益法人の幹部人事にまで口を挟む権限があるはずもない。
といっても、日本サッカー協会が我々の支払う税金によって運営されてるならまだそれが言えるんだよ。
でも、現実として協会には全く税金が投入されてない。
完全な独立採算なんだ。
「だけどさ、我々が代表戦で支払うチケット代が協会のメイン収入だろ?」と言いたい人もいるだろう。
いやこれがね、意外にもそういうのはマジで大したことない収入のスケールなのさ。
たかだか年間10試合程度の興行だもんな。
どっちかというと、サポ収入よりは企業収入の方が協会にとってメインだね。あとは、登録料。

つーことで、いかにも有権者が政治家や官僚を断罪するみたいにして我々も協会を断罪してるけど、実は我々って偉そうに「有権者」を気取れるほど彼らの財源になってないのさ。
これ、困ったね。
これじゃ、我々って単なるクレーマーじゃん(笑)?
何か、偉そうにしてること自体が恥ずかしい。
もういっそのこと、代表を国有化してほしいぐらいさ。
そうすりゃ国税が投入されるから(非サッカーファンは間違いなくキレるだろうが)、国民は納税者の権利として文句のひとつも正当に言えるようになるんだ。
また、政治家を選ぶようにして技術委員長も投票で選べるようになったらベストだね。
言ってみりゃ、国家単位のソシオ制度。
四年ごとに技術委員長を選ぶことにして立候補者を募り、彼らには目指すビジョンと交渉していく監督名をマニフェストとして出してもらうのさ。
で、それを見てサポが投票する。

もうそこまでやるなら、いっそのこと監督も選挙で選んじゃおうか(笑)?

サポ「グアルディオラさん、おめでとうございます。このたびのJFA選挙であなたが日本代表監督としてトップ当選しました」

ペップ「…あ、そうなの?」

サポ「つきましては、すぐ日本に来てください」

ペップ「ムリムリ(笑)。バイエルンとまだ契約残ってるし」

サポ「でも選挙結果ですから」

ペップ「俺、立候補してねーし。立候補してないのに当選っておかしくね?」

サポ「誰もそこまで考えてませんでした」

ペップ「…」

サポ「でも選挙は選挙ですから、拒否すれば選挙違反になります」

ペップ「逮捕されるの?」

サポ「はい」

って感じで、一流監督連れてこよう。
日本代表、強くなるぞ〜。
2014/7/2(水)0:53

☆関西人
次期監督
新聞では気が早いことに、もうアギーレ監督の内定が報じられている。
…え?
技術委員会がザック代表を総括した上で、その反省をもとに次期監督を9月ぐらいをメドに決めるんじゃなかったっけ?
いやいや、原さんに「反省」なんざ微塵もないんですよ。
むしろ、コンセプトは「継続性」である。
新聞報道によると、協会は継続性を担保する為にGKコーチやテクニカルスタッフはそのまま続投にする案だという。
もともとアギーレはザックにオファーした時にも同じくオファーしてた人らしく、協会にしてみりゃ今になって急に名前を出した人じゃない。
決して、「ザック代表を反省した上で選んだ人」ではないんだ。

ということで、GKコーチのグイード氏には続投のオファー。
報道には「協会の評価が高い」とあるが、それ初耳なんですけど(笑)。
というか、ザック代表ってイタリア人がぞろぞろいたけど、そういや監督以外誰にも注目してなかったなぁ、と今さら反省。
あと、諜報スタッフの和田一郎もまた続投みたいだね。
この人、少なく見積もっても15年ほど代表スタッフにいるよな?
その諜報力は007並みの超一流らしいんだが、私は彼こそが今大会敗退の重要戦犯の一人だと思うのね。
というのも、彼って敵チームを分析したビデオを作成して選手たちに見せるんだ。
多分、コートジボアール戦前にも凄いのを作ってザックや選手に見せたはずなんだ。
で、そのビデオの出来があまりにも凄すぎて、皆が過剰にコートジボアールをビビってしまったんじゃないかと。
その顛末が、あのへっぴり腰ですよ。
一回、和田さんは外した方がイイ(笑)。

それはともかく、問題はアギーレの監督としての力量である。
前にも書いたが、私はこの人をよく知らん。
といっても毎大会メキシコ代表の試合は見てるから、彼がやってた2002年大会と2010年大会も間違いなく見てたはず。
でも、彼のことは記憶にない…。
どうやらフォルランが彼の下でやってたらしいし、まずは彼のコメントが待たれるところ。

というか、新聞も「アギーレ」と「アギレ」とふたつの表記があるんだが、どっちかに統一してほしいよな?
こういうの、よくあるんだわ。
「モウリーニョ」と「モリーニョ」とか、「メッシ」と「メッシー」とか、「シャビ」と「チャビ」とか、「イニエスタ」と「イエニスタ」とか(←これは土田)。
私はアギーレでもアギレでもイイし、別にアッーギレでもアッーギーレーでもイイよ。
でも簡潔な方がイイから、今後はアギレで統一させてもらおう。

で、そのアギレ。
新聞等の報道によると、↓のような監督らしい。

@タイプは堅守速攻。しかし、ロングボールの空中戦ではなくパス主体の地上戦志向。攻撃的。
A中盤をコンパクトにして、激しくプレスを仕掛ける守り方。球際は激しく、反則スレスレのラフプレーも辞さない。
B彼自身も敵選手にキックを入れて乱闘をした。監督のくせに3試合も出場停止になった。アギレ、ぶちギレ!である。
Cそのくせ選手からの信頼はあり、人心掌握には長けている。
Dでも、若手を外してベテランを重用するなど、不可解な選手起用をする。キャプテンを毎試合代えるなどもしたらしく、メディアからは「最悪監督」と呼ばれた。あまりの不可解さから、汚職も疑われていた。
E人格者として知られている。

う〜ん、よく分からん。
かなり奥の深い人物だな?
私が↑の@〜Eで受けた印象では、まず戦術面では何となく岡田さんに通じるモノがある。
そして、熱血ぶりという部分ではトルシエにも通じるモノがある。
あと人心掌握という点では、オシムにも通じるモノがある。
さらに、不可解さという点ではジーコにも通じるモノがある。
そして、人格者という点ではザックにも通じるモノがある。
なるほど、ハイブリッドか…。
ベテランを使う?
ラフプレーも辞さない?
来たね。大久保はあと四年もやらなくちゃならんよ(笑)。
あと、熱き男・闘莉王もまた復帰かな?
何より、あの長谷部が真面目にカニばさみ(確かブランコだっけ?)をするようになったら超ウケるよね〜。

いや、まるでアギレが決まったかのように書いてしまったが、本当はまだ決まってないのであしからず…。
2014/7/1(火)19:38

☆関西人
自分たちのサッカーA
一躍サッカー界の流行語にもなった「自分たちのサッカー」。
思えば、ひたすらこれだけを追求し続けるという壮大な実験が過去にはあったね。
そう、ジーコ代表だよ。

あれはあれで凄かったし、貴重な体験だとつくづく思う。
ジーコは監督でありながらも必要最低限の決まりごとだけを示し、あとはオブザーバーに徹して「お前たちでやってごらん」。
きっと、彼の理想チーム「ブラジル82」ではテレサンターナがそんなスタンスだったんだろう。
そんな方針の中、選手たちは非常によくやったと思う。
最初はトルシエの遺産から高いライン設定をしてたのが、やがてはカウンターの餌食になってラインを下げていく。
しかし「ラインを下げる」→「全体が間のびする」はマズイことにも気付き、そこから攻撃陣の位置取りをも下げて「下がり気味のコンパクト」という形に行き着いた。
日本の遅攻文化の完成である。
あれはジーコに教えられたことというより、選手たちが作った「自分たちのサッカー」だったと思う。

よくジーコとザックが似たタイプという人がいるが、いやいや、私はむしろ正反対だと思う。
ジーコはあまり戦術的決まりごとを多く設定しなかったのに対し、ザックは異常に多かった。
それゆえ戦術理解の浸透した選手しかチームに馴染めなくなり、結果として選手が固定化されてしまった。
一方、ジーコは確信犯的に選手を固定化した。
それは戦術理解云々でなく、最初から少数精鋭の研究者グループという意味合いを持たせたかったんだろう。
実験→失敗→検証を繰り返していく研究室の中では、あまりにスタッフを新陳代謝させてはデータの蓄積が失われてしまう。
…まぁ、アプローチの仕方は仮に正反対だったとして、行き着いた着地点は同じだったというのが何とも皮肉だね。
どっちにせよ、選手の固定化は両者同じだった。

一方、トルシエはどうだった?
彼は、「自分たちのサッカー」など絶対に許さなかった。
そういうことをやろうとした反乱分子はことごとく潰していき、あくまで「トルシエのサッカー」にこだわった。
名波や俊輔の排除はそこに理由があっただろうし、山本昌邦コーチの証言では本番でも中田英をスタメンから外すつもりだったらしい(周りが必死で食い止めたらしいが…)。
宮本らはぶっつけ本番で↓のクーデターを敢行するが、あれも本番前にやってれば確実に粛清されてただろう。

私は、以前に板でこういう表現をしたことがある。
ジーコが大学における研究室のオブザーバー的スタンスをとる「教授」だとするなら、トルシエは「予備校講師」だ、と。
東大合格者○○人!とかを請け負うカリスマ講師。
ぶっちゃけ生徒の学力向上にはあまり興味がなくて、それより受験テクニックを叩き込んで何とかノルマを確保しようとする。
仮にも代表監督という立場の人が、合宿で「上手いユニフォームの引っ張り方」というファウルをレクチャーしたぐらいだからね(笑)。
品位という観点では、ジーコやトルシエの足元にも及ばなかった。
いや、だからこそ人気があったんだ。
そのへんの「教授」よりも、パフォーマンスのできる「予備校講師」の方がテレビで人気者になれるのと全く同じこと。

でも、底が浅かったのはやはり事実なんだよ。
協会はそこを見越して、次は「ちゃんとした先生」を呼ぼう、って。
で、オシムですよ。
今から考えても、本当に良い先生だったと思う。
でも、結果は残せなかった。
…思うんだけどね、あそこまでの教育者・哲学者・思想家のレベルにもなると、逆に結果が全てじゃないという崇高な真理に行っちゃうのかもな、と。
「受験は結果が全て!」という分かりやすい俗物だったトルシエとはまた違った。


ちなみに私は、トルシエ・ジーコ・オシム・ザックの四人ともが好きである。
いや、好きというよりは感謝をしているという気持ちかな。
一旦卒業をしてしまうと、あれだけ憎かった先生が妙に憎めなくなり、逆に感謝の気持ちしかなくなるんだよ。
仰げば尊し、我が師の恩、である。
まだまだ、今後も外国人指導者から学ぶべきことは我々にたくさんあるだろう。
そう考えると、「自分たちのサッカー」なんて偉そうなことホザくのはまだ時期尚早かな、と。
クソ生意気が学生が、まだ親のスネをカジってる立場のくせに「俺の人生」を語ってるみたいもんさ。
…何か、逆に恥ずかしくなるよ(笑)。
2014/7/1(火)14:30

☆関西人
自分たちのサッカー
昨夜に「やべっち」を見てたら、セルジオ越後がザック代表敗退を辛口に総括していた。
なかなか的を射た内容だったと思う。

彼は、今大会で選手や監督が連呼してきた「自分たちのサッカー」という言葉に対し、「自分たちのサッカーって一体何?」と言っていたね。
「それがどんなサッカーなのか分からない」と。
…いや、厳密にいえば全く分からないこともないんだ。
何となくだけど、ショートパスを細かく繋ぎながら組織的に動いていくテクニカルなサッカーのイメージは皆が持ってると思う。
ただ、それはあくまで漠然としたイメージ論にすぎない。
具体的なディテールを問われると、ちょっと困るな。
きっと、それは選手たちにしても同じだろう。
「自分たちのサッカー」には、ちゃんとした仕様書があるワケじゃないんだ。

実際のところ、ザックがいう「自分たちのサッカー」と選手たちがいう「自分たちのサッカー」が同一のモノだったとは断言できない。
というのも、最近になってメディアは選手たちと監督との間に方向性のズレがあったことを報道し始めてるよね。
それらがどこまで真実かは知らんが、少なくともザックは昨年秋から合宿で「速攻」を志向し始めていたという。
それが、彼なりの本番仕様だったんだろう。
しかし、それに対して本田・長谷部・遠藤の三人が宿舎でザックの部屋に押しかけ、「直談判」をしたという。
このやり方はダメだ、と。
で、ザックはひと通り話を聞いて本田と遠藤を帰し、長谷部一人を残して「これは選手全員の総意か?」と聞いたらしい。
すると、長谷部は「そうじゃない」と返答したってさ。
…おいおい(笑)。

これじゃ、「自分たちのサッカー」じゃなくて単に「自分のサッカー」じゃん?
皆が各々に信仰するサッカー観を持っていて、いかにもそれがチームとして統一されてるかのように装っているが実は統一なんかされてなかった、と。
なるほど。
いや、こういう話は今さら驚かない。
というか、正直「またか…」と思う。

確か、トルシエの時も監督と選手の間に意見の相違があり、あの本番では宮本らが「自分たちで決めたライン設定」で臨むというクーデターを起こしたのは有名な話。
また、同じようなクーデターは北京五輪だね。
当時の本田らは反町監督の守備偏重戦術に逆らい、オランダ相手に「自分たちの攻撃サッカー」をやって見事に玉砕(笑)。
あと、アトランタ五輪もそうだ。
あの時は前園や中田英らが西野監督に反旗を翻し、でもここでは西野さんが彼らをスタメンから外すことでクーデターを鎮圧(笑)。
あと、06年W杯。
あの時は、中田英がジーコの部屋に押し掛けて直談判。
「福西でなく稲本を使ってくれ」と迫ったという。
中田と福西、このボランチコンビって実は最初から守備の持論が食い違っており、当初ジーコは福西の方を支持してたのがこの直談判で中田の軍門に下ったらしい。

いつの時代も、色々あるよねぇ。
というか、何事もなく臨めた大会の方がむしろ少ないよ。
…あ、南アフリカ大会。
この大会は、例外的に分裂の話をあまり聞かない。
でもそれって、何か不思議じゃない?
だってさ、本番直前になって岡田さんはあんなにブレたんだよ?
↑の話を見てもお分かりのように「ブレることを許さない」「守備的になることを許さない」本田というキャラがいて、よくもまぁクーデターが起きなかったな、と(笑)。

多分、あの時の本田はそこまで余裕なかったんだろうね。
もともと控えだったのがいきなり1TOPという重責を与えられて、チームがブレてようが守備的だろうがやるしかなかったんだろう。
チーム全体として、正直岡田さんに反逆する余裕すらなかったと思う。
新しいシステムをこなすことに必死。
もちろん、「自分のサッカー」を捨てられた俊輔は面白くなかっただろうが、反逆しようにもベンチだからクーデターも起こしようがない。

結局、そういうことなんだと思う。
思えばザック代表にしても、「自分たちのサッカー」なんて言葉が出てきたのはつい最近の話。
二年前までは全員「ザックのサッカー」をマスターすることに必死で、「自分たちのサッカー」とか語る余裕なかったんだよ。
だけど不思議なもんで、その頃のサッカーが一番機能して一番充実してたんだ。
実際、強かったし。
これも皆が余裕ないゆえ、逆に「ザックのサッカー」の下で一体感があったとでもいうべきかな。
それが「ザックのサッカー」を一旦マスターしてしまうと、今度は各々が「自分たちのサッカー」に向かうという一段上のステージに至ったことで、逆にチームは一体感を失ったのかもしれん。
…皮肉なもんだね。

まぁ、こういう風にも言えるよ。
「自分たちのサッカー」という言葉が出てきた時点から、そのチームにはマンネリが始まっている、と。
2014/6/30(月)23:17

☆ヒソリ(大和魂)
男性 69歳
時代遅れ
連日のPK決着

本当毎度胸が締め付けられる思いで見てるけど、なんか切なくなるんですよね〜

決めて当然、外せば戦犯扱いという罰ゲーム的な勝敗決着方式…

まあ(´・ω・`)じゃんけんやアミダくじで決めるわけにもいかないわけですけど(苦笑)


で、ふと思ったんやが90分戦ってですよ!体力限界なのに更に30分延長戦とかむちゃくちゃやんかと!

しかも二時間の内、交代枠3人とかアホなの?


そりゃ(´・ω・`)延長戦ぐだぐだになってPKまでなる確率高くなるわな

こんな『時代遅れ』の決まり事は即刻止める事をFIFAに訴えたいもんですな!!

個人的には思い切って人数制限無しと言いたい所だが(笑)

とりあえず倍の6人にしましょうよ
2014/6/30(月)22:02

☆板長
恐らくこの無益な戦犯探しも責任の擦り付け合いの報道も、やはり我々ファンの求めるところだとメディア側からの推察、分析からくるものなのだろう。コロンビア戦が終了した時点で敗退をすんなり受け入れることができた身としては、やはり憤りを禁じ得ない。
もちろん悔しくなかったわけではないし、残り時間がなくなるにつれ減るサポートの動きと玉砕覚悟の特攻は、非常に見ていてやるせなかった。敗戦直後の後番組で流れていたザックの会見にあった、何度か繰り返されたバランス、エクイリブリオを大事にしたいという言葉も、到底説得力を持たないものだった。
とにかく、勝ちさえすればというだけの状況において、あのタイミングで焦れて前がかりになり、カウンターを易々とさせてしまったのはいただけなかった。まあ、見てる時のテンション的にはいけいけという気持ちではあったが・・・

ここからもやはりとっ散らかった文になるわけだが、一番悔やまれるは初戦であるというところに異存はないはずだ。やれ自分たちのサッカーができなかっただの、やれ相手をリスペクトしすぎただの、やれ自分たちのサッカーどうこうは聞き飽きただのいろいろ問題点は語られたと思うが、私はやっぱりワールドカップへのリスペクトそのものが足りていなかったと感じる。
あれだけ初戦が全て、初戦次第ということをこの8年で天と地ほど味わったはずなのに、あんな入りをしてしまうのはどうにもこうにも愚かな話じゃないか。ワールドカップを戦う上で、これくらいでいいだろうとか、そこまではやらなくては良いだろうとか、そういう気持ちは捨ててくれと前任の岡田さんが語っていたのを思い出して欲しかった。日本が進化しなかったわけでも世界がそれを追い越すスピードで進んでいったわけでもなく、ただワールドカップは変わらずそこに相応しくないものを振い落していったんだろう。

もう少しピッチの上に目を向けた話をすれば、やはり同じような現象を我々は以前に目撃しているはずだ。それはもちろんちょうど1年前のコンフェデ杯に他ならない。ちょうど報道にもあったが、ザックは大一番になるとああいうような唐突なメンバー交代や戦術変更をする「悪癖」があるということ。コンフェデではちょうど岡崎が1トップに入り、コートジボワール戦では大迫が先発に名を連ねた。
別に誰をチョイスするのも監督の仕事なのだからそれは構わないのだが、結局なぜそういうことが起きてしまうのかと考えれば、それは相手のことを考えすぎるということだろう。つまり、相手に合わせてしまうということだ。やはりそれは強者の理論であると思うし、まだ日本のレベルでやっていいことではなかったし、そういう状況で「自分たちのサッカー」が出来なかったのも自然な帰結なのかなと感じる。
もっと言えば、別に相手に合わせたって構わないのだ。要は全員の意思が統一されているのか否かという話なのだ。ザックの志向する戦術に無理があり、相当良好なコンディションでなければやり通すのは難しい、なんてことはもうこんなミーハー素人が2年も前に指摘していることで、本当にもう今更な話だ。

ただ、ドイツの時の再現などと私は思わない。攻めて攻めたところをカウンターで効率よく決められる、なんて普通の展開である。ブラジル戦は抗うことすらできなかった。少なくとも今回のコロンビア戦は、試合を見て胸を打たれた、自分が次は仇を取るというような気持ちを少年に持たせてくれるような試合だったと思っている。サッカーはこれからも続くのだ。
2014/6/29(日)23:40

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