塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ3050 2017/2/10 0:16

▼世話係
苦行
自営業は確定申告をさせられます。
パソコンからでもできますが、
制度が変わりますし、よくわかない項目があれば、
税務署の相談会場に行きます。

これが面倒です。小平にいたときは東村山まで電車で行きました。
税金を納めるほうが、書類を持参します。
しかも混みあっていて、一時間も待つことがありました。

それで、今年は悪天の日を選びました。
みぞれまじりの雪、寒い日でしたから、
がらがらでした。
税務士もひまで、作家はめずらしいのか、
話しかけてき、お見送りまでしてくれた。
こんなことは初めてです。
2/10 0:16

▼世話係
読書
『太平記』第32巻 了。
西国いた足利直冬(ただふゆ)と南朝がタグを組み、
足利義詮(よしあきら)は近江へ逃げた。
尊氏が鎌倉からもどってくると、
こんどは南朝が逃げる。
相変わらずのシーソーゲームだ。

よく見通せるように商家や民家を焼いた。
京の都は、無人地帯になる。
2/9 21:57

▼世話係
中醉
下記の「会のことG」を書いていると、
原田さんは別格として、
リンゴ園を継いだ人も、大山(おおやま)にのぼった思い出を書いた山内さんも、ピエロのみじかい文を書いた星川さんも、いいですよ。
初心ですね。

どんなに力作でも、読め、読めよ、読むと感動するよ、というスタイルは受けつけません。

老父母の看護でこれなくなった人、不慮の死を遂げた人、生活苦と苦闘する人、そして、足を引きずって必死に教室にたどり着く人、みな、さまざまです。
だれですかね、必死に足を引きずっているのは。
2/9 3:05

▼世話係
会のことG
2003年、新日文は解散する。
最後にいいことをやってのけた。
なんでも、始めるは易し、終わりはむつかしい。反対意見を乗り切った。

このときになって、わたしはやっと、会員について
いろんなことを知った。
知らなくていいようなことを知った。
まだ、ほんとのことは言えないが、
ダークな気分だった。

日本文学学校の名を使わさないと、
最後の官僚の言はよしか。いいはずがないが、
妥協して文藝学校とし、女五十嵐さんの
東中野のアトリエで講義はつづけた。
遅々として進まず、か。
2/9 1:27

▼世話係
会のことF
会をとりまく環境が悪化する。
新たに闖入してきたかれらは、だらしない会を普通の組織にしたと言うだろう。でも、ここは会社でも役所でも学校でもない。

国分一太郎とか管原克己とか、長谷川四郎とかが、わたしの隣にいてくれたのはよかった。制度としての「学校」の真似を、だれがしますか。

「新日本文学会」は、戦後、サヨクの文学者の作ったものですが、前衛的な文学を目指す人たちがたむろしていた。それなりに面白かったけど、反面、かれらは学校にくるヘタな連中をバカにしていた。

ありがたい。それで、わたしもまた長く無視され、学校をつづけられたわけです。
2/8 2:29

▼世話係
読書ニ
新田側の一部は鎌倉へ、
主舞台は、埼玉・嵐山町の笛吹峠に陣を構えた。鎌倉道のひとつだ。

足利尊氏は増兵して石浜から襲い、大勝し、
新田義興(よしおき)は越後に逃げた。
尊氏は鎌倉にもどった。

この知らせがが京に伝わると、尊氏の子の軍に大勢が参加し、
足利義詮(よしあきら)は南朝を京から追い出した。
情勢はまたもや一変した。

後醍醐が隠岐から脱出とたころは、忠義は守られていたが、
いまや、名ある武将も、優勢なほうに、一夜で寝返って平気だ。

都は荒涼とした焼け野原である。嘆かぬ人はなかりけり。
2/8 0:23

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