塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ3051 2017/2/11 0:38

▼世話係
読書c
人目を避けるために一艘の舟に新田義興(よしおき)は8名の家臣と乗った。
船頭二人が片沢と江戸に買収されているとは
気がつかない。
多摩川の中ほどにくると、あらかじめあけてあった二個の穴の栓がぬかれた。
船頭は水に飛びこんで逃げ、義興は腹を切った。舟は沈み、8人の家臣も死んだ。

江戸氏が褒章をもらって帰途、矢口渡(やぐちのわたし)にくると、
天にわかに荒れ、命を落とした。

義興のたたりをしずめるために、新田神社ができた。
蒲田駅から多摩川線でふたつめ、武蔵新田(むさしにった)でおりるほうが、
矢口渡駅よりもちかい。
2/11 0:38

▼世話係
読書c
人目を避けるために一艘の船に新田義興(よしおき)は8名の家臣と乗った。
船頭二人が片沢と江戸に買収されているとは
気がつかない。
多摩川の中ほどにくると、あらかじめあけていた二個の穴の栓がぬかれた。
船頭は水に飛びこんで逃げ、義興は腹を切った。8人の家臣も死んだ。

江戸氏が褒章をもらって帰途、矢口渡(やぐちのわたし)にくると、天下にわかに荒れて、命を落とした。

義興のたたりをしずめるために、新田神社ができた。
蒲田駅から多摩川線でふたつめ、武蔵新田でおりるほうが、
矢口渡駅よりもちかい。
2/11 0:32

▼世話係
読書b
将軍は足利家の世襲になり、
義詮(よしあきら)が二代目になった。
義詮の弟の足利基氏(もとうじ)が
初代の鎌倉公方に就いた。
執権は畠山道誓(どうせい)である。

この畠山が新田義興(よしおき)を亡き者にしようと画し、
片沢氏と江戸氏にテロルを命じた。
片沢は贈答攻めで義興に接近し、
江戸氏という仲間と反乱を計画していて、
そのリーダーになってほしいと持ちかけた。
クーデターの勢力はひそかに鎌倉に潜入して
義興を待っているという。

この策謀に引っかかるのだ。
2/10 22:25

▼世話係
読書a
『太平記』第33巻 了。
「京、白河の武士の屋形のほかは、在家の一宇もつづかず。
離離(りり)たる原上(げんしょう)の草、
累々たる白骨草むらにまとはれて、ありし都の跡も見えず」

20年余の戦乱を招いた張本人・足利の尊氏が病死する。54歳。

この巻の後半が、有名な「矢口の渡し」である。
新田義興(よしおき)は義貞の子だが、庶子であったため差別されていた。
その分、勇猛果敢に戦い、鎌倉側から恐れられていた。
2/10 16:01

▼咲
しんこく
毎年、かないません。私のところに踏み込んでくるほど税務署はヒマではないと思いますが、まじめに領収証を整理する自分にあきれます。私もなぜか、最後は手書きしています。
2月16日(木)は、遅刻するか、宴会にだけ伺うかになりそうです。申し訳ありません。
2/10 9:38

▼世話係
上税苦行
自営業は確定申告をさせられます。
パソコンからでもできますが、
制度が変わりますし、よくわからない項目があれば、
税務署の相談会場に行きます。

これが面倒です。小平にいたときは東村山まで電車で行きました。
税金を納めるほうが、書類を持参します。
しかも混みあっていて、一時間も待つことがありました。

それで、今年は悪天の日を選びました。
みぞれまじりの雪、寒い日でしたから、
がらがらでした。
税務士もひまで、作家はめずらしいのか、
話しかけてき、お見送りまでしてくれた。
こんなことは初めてです。
2/10 1:46

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