塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板
過去ログ3021
2017/1/5 23:23
▼咲無理やり本日は作品を出すだけに行き、申し訳ありません。明日のうちに、郵送の方、メールの方、ともにお送りします。
出した本人が言うのは申し訳ないですのですが、かなり不出来です。つまらない、かもしれませんが、少しでもコメントをいただけたら嬉しいです。書き直します。
同時に4月に向けて、構想を固めます。
1/5 23:23
▼世話係 やっと平安と、書いた途端にすこし揺れました。
来ますかね、震度6ぐらいが。
意識も消えたとき、頼まれたようで、
まったく覚えてなかった。
かたわらにいた友がメールで教えてくれた。
「はい、書きます」といったらしい。
それで何年ぶりかに、高橋和巳について、たった5枚。でも、調べたり再読したりで
二週間はかかった。
ま、ほかに何もすることはなかったのでいいけれど、
納期が頭にあるのがうれしくない。
半世紀、トラブルまみれで生きてきたので、
いまもなにか、忘れてないのかと、
不安になる。
1/5 0:52
▼世話係読書2革命は成就した。
正成に報奨を与えようとすると、
「天皇の徳のおかげであって、そうでなれれば、謀だけでどうして勝てましょう」
と、功を辞した。
ここには天皇の存在がいかに大きな影響を
およぼしたかが強調される。
これが「天皇制」なのだ。
筑紫の九州探題も、六波羅の敗北が伝わるとすぐに陥落した。逃げ出す者や裏切る者があいついだ。
周防の長門探題も、越前も越中も同じだ。日本全土を制圧するのには、何年もかかると思っていたが、
43日間で形勢は逆転した。
1/4 16:18
▼世話係読書1『太平記』第11卷、了
京の六波羅が滅んだ。何万の兵はちりぢりになり、重臣の一族は自死した。
船上山の後醍醐は京に向けて出発しようとした。
まだ危険なことを訴えるものがいた。
天皇は占い師を呼び、決断する。
まずは姫路に出て、ついで神戸市へ入った。
ここの寺に、新田義貞から鎌倉を支配し、
北条の一味はことごとく切腹たと報告が届く。
つづいて、楠木正成が千早城から駆けてきて
勝利を告げる。
1/4 16:03
▼咲明日は札幌から帰る日で、たぶん遅刻して行きます。申し訳ありません。印刷の方には手渡せるようにします。
1/4 8:04
▼咲明けました今年もよろしくお願いいたします。
札幌の母は私の名前もわからなくなりました。息子とおでこをごつんこして、楽しそうではありました。
安藤さんの本は何冊か読みました。私はまだ夏子のでは、文体を獲得できません、納得できません。もちろん最後まで、きばります。挑戦はまだまだ続きます。
1/4 1:27