塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ3010 2016/12/16 7:22

▼世話係
と、書いて
わたしが女なら
「イケメン数人、超インテリ仲間がふたり」
と、書くのだろうか。

下記の文を書いたあと、すこし、舌が
ざらざらした。
反省です。
12/16 7:22

▼世話係
おはようございます。
こんなジジを忘年会にまねいてくれた
狂気の集団があって、
美女ふたり、
超モノシリ男数人。
すぐ酔って、楽しかったです。
ありがとうございました。

ついでに、文庫『異形にされた人たち』の
6刷ができました。
12/16 6:51

▼世話係
読書伍
血はその身を侵して 、黄河の流れの如くなり。
死骸は庭に充ち満ちて、と所の肉に異ならず」

『太平記』には死者の名を、延々と記している。

六波羅が落ちたことが伝わると、
千早城を取り巻いていた幕軍十万は
奈良のほうへ逃走した。
野伏に殺される者、腹を切る者、千尋の谷に落下する者、
生き延びた者も馬や鎧を捨てていた。

いまでも「矢の孔(あな)あり、刀の疵のある白骨、苔にまとわれて累々たり」
と作者は書いている。
12/15 14:37

▼世話係
読書し
官軍の勢いに総崩れになり、
逃亡する兵、寝返る兵、出家する兵であふれ、
六波羅探題は炎上した。
光厳天皇ら宮家の者は鎌倉へ逃げようとしたが、
関ヶ原のそばの「番場(ばんば)峠で野伏(のぶし)の一群にとらえられ、
京に連れ戻された。
随行した兵は自決した。

「都合四百三十二人、同時に腹を切ったり」ける。血はその身を侵して
12/15 14:20

▼世話係
読書参
官軍はサントリーの山崎のあたりに集結し、
久我縄手(こがなわて)という京都に続く一本道を攻め上り、
幕軍は攻め下る。
左右は泥田で馬の脚まで沈んだ。

足利高氏は桂川のそばで酒盛りをして、主戦場で鎌倉軍が負けたと知ってから、
丹波路に入り、山中に陣取った。
応援をもとめると、近隣から駆け付けた兵で
二万余騎にもなった。

いよいよ六波羅探題を目指しての総攻撃が始まる。
12/15 13:47

▼世話係
読書弐
関西の戦いが負けそうだと
聞いた鎌倉の北条高時は、
援軍を送ろうとして、足利氏にもやんやとせっついた。
たまたま父の喪に服し、当人も病気だったので、
この催促にすごく反発した。
もう北条のバカにしたがえない。そもそもは源家の足利高氏のほうが
家柄はいいではないか。

翻意を秘めて京へむかい、
到着した翌日には、船上山(辞書には、センジョウサンとの読みがおおいですね)に使いを送り、
後醍醐から綸旨(りんし)をもらった。

あとはどのように幕軍を裏切って、
官軍に加わるかだ、
12/15 1:56

30113009

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