塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ3006 2016/12/11 15:58

▼世話係
読書1
『太平記』7卷了。全40巻。

個々の戦の展開は、『戦争と平和』の描写をこえて、戦略をこまかく叙述し、しかも日本全体の動向もわかりやすく説明する。
よほど有能な著者とサポーターによる成果だ。

本巻は官軍と幕軍の勢力がおおきく変換する。とても重要な巻だ。ゆっくり紹介する。

かお楠木の表記は維新後の官製表記に依った。辞書類もこの表記だが、前は「楠」である。楠正成、クスノキマサシゲです。
12/11 15:58

▼世話係
おはよう
ボブでイラン?
を見ていた。聞いていました。
インタビューできなくても、一本、でっちあげましたか。
12/11 7:13

▼世話係
私生活
なんですか、「戦争記」のような「太平記」を
読んでいて、わが日々がなくなったみたいですね。

でも、今宵も中醉、余時間がわからないから、
どうしよう、
少しあるなら、またなにか書くのか。

石神井川畔で吟唱す。

老また悩み多し、しばし焼酎でなぐさめん。冬月、頭上に停止し、
いつか、歩むことあるらん。
12/10 3:18

▼世話係
読書2
それを知った18歳の息子は、父1人を冥土にやるものか、おのれも共に死なんと、ひとりで敵城に入った。

「5、60騎の敵と火を散らして切り合ひけるが、
つひに父が討たれしその跡にて、
刀を口にくはへて、馬よりさかさまに飛び下り、
貫かれてぞ死にける」

赤坂城の最後は、裏山の地下を通した樋(ひ)をこわされ、水をうしない降伏した。
282人は六波羅探題に連行され、
六条河原で全員打ち首になった。
12/10 0:41

▼世話係
読書1
『太平記』第6卷、了。
一度は赤坂城から逃げた楠木は勢を盛り返し、
和泉・河内両国を支配し、天王寺へ攻め込んだ。

あわてた鎌倉は40万近い軍勢を上洛させた。京の町の寺という寺、広場、河原など、
野営する兵であふれた。

赤坂城での再度の戦いで、
先駆けは禁止されたが、相模の本間なにがし、37歳は名を残そうとひそかに出撃して散った。、
12/10 0:26

▼わかけん
鎌倉美術館
松本しゅんすけ展に行って来ました。
『立てる像』はあんがい大きな絵で、
迫力がありました。
生きている画家。
学芸員の方はとても親切でした。
12/9 14:47

30073005

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