manuscript paper

過去ログ42 2010/11/9 21:03


陽も落ちて会社帰り。僕はいつもと同じように携帯開きながら自転車で帰途。画面上にふと小さな水の粒が付いている。雨かと思って空を見上げるけれど雨は降っていない。また携帯を開きながら家路を進む、と。一瞬顔に水があたった。それは微か過ぎてくっきりと感じ無かったけれど、確かに体温とは違う温度で、反射的につい頬を触ったけれど跡形もなかった。でもこの独特な感覚はきっと雪だ。秋を感じさせないで冬がやってきている。いつの間にか忍び込んでいる。そして気が付かなかったけれど、冬が嫌いでなくなっていて、時々だけれど冬も悪くないなんて思うのです。
2010/11/9 21:03


僕が望んだこと。

何を残して何を我慢するのか。
全て僕自身の選択の結果だ。

僕は自分の気持ちよりも体裁とか他人の評価を選んだ。
自分が病気になるストレスを抱える苦しみより、いい奴で良識と全てを兼ね備えている人間を演じる方を選んだ。

僕の選択の基準はいつも他人の眼だったんだ。今でも酷く他人の評価を気にする。

でも本当はそんな評価に価値は大して無い。もっと自身の評価を基準にするべきなんだ。

『井の中の蛙』だって、その限られた『井の中』で自由を謳歌するのがいい。

僕はこれ以上僕自身を手離してはいけない。
2010/11/6 22:02


うん。久しぶりに。

曇り時々曇り。

すっきりする事ばかりではないけれど。

そろそろ手放してもいい頃だろう。ひとつの刷り込まれた常識を。

純粋ってのは時に全てに於いて優位に立つ。そんな常識。
客観的には美しいかの様に受けるけれど、事実は腹が減ったのと変わらない。別に特別な崇高なものではない。


くだらないというつもりはなくても事実を脚色する必要はない。好意はそれ以上でも以下でもないのだから。

そして、時にそれが自分の望む世界に影響を及ぼしかねないのなら、近寄らないべきなのである。

感情に流されるなんてくだらない。よりよい快適な生活をわざわざ感情によって乱す事は不合理なのだから。


ねぇ、僕にはわからないんだ。感情という人間の人間としての根源の一角を担う性質を失ってまで生きる意味があるのだろうか。

僕は植物としてでなく、人間として産まれたのだから。
2010/10/5 21:00


もう、
目の前にぶら下げられたニンジンじゃあ、僕は幸せになれない様なきがします。普通の、ごく一般的な家庭ってのに憧れがありません。主体性もありません。
別に仕事ができるからって幸せになれない気がします。それは仕事に対するストレスを軽減さえするけれども、家庭内にはさほど影響がないから。
僕の望む生き方は僕自身が痛くない、いや、仕事は仕方なくても、帰った先に休めるところがある生活です。気を使わなくていい空間です。

自分の責任だけど、たびたび放棄したくなる。
2010/9/20 19:06


ここを賃貸物件だと仮定すれば、築年数は結構経っていて、時には小さなリフォームもして宣伝なんてしてみたけれど。

結局誰も見向きもしない。


魅力・センスの無い物件でしかない。

デザイナーが駄目だ。
2010/9/7 23:17

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