ここはまるで、時間が日常と同じ速さで流れる並行世界のようだ。
でも,変化しているのはZ-Zのデザインだけで、あとはそのままで。

何故か、嬉しい。
言葉が持つ力を、僕は知っている。

時には、腕力で勝てない相手でも平伏せさせる力にもなり得る。
時には、言葉の選択で他人を信用させることや、自分の環境を利用して更に心酔させられるかもしれない。
時には、理論を重ねる事によって、当たり前の事実を否定させることも出来るかもしれない。

時には、たわいのない一言で、誰かの心を休めたり、温めたり出来るかもしれない。そして、傷付けるかもしれない。


それでも言葉が、世界や現実を動かすために必要だから、授かったのだと思う。


でも、僕ごときが言葉を発しなくても、世界は間違いなく機能するのだから、もう、黙ろう。
毎日が退屈だったので、新たな環境に自分置いたら、苦しくて泣きそうです。
そして、仕事をこなす為には自分の能力が不足している事が嫌と言うほど思い知らされました。更に、それは過去の自分が持っていたスキルで、そのスキルが無いと、もうこれ以上能力を開拓できないのに、きっと回復しないのだろう。
只々毎日しんどい。

僕は周りの評価を気にしないくらい無神経ではない。本当は平均がこなせない事で迷惑をかけている事だって知ってるし、自分を平気に卑下しているわけでは無いのだ。
尾崎豊教ではなくても、こう考えるのです。

彼の作詞は、彼の感じた事を彼の言葉の選択肢から、より彼が自分を表していると感じる言葉を選択・組み合わせたものだと。

彼が突貫工事で書いた曲だって、全て想像のものではないと。

銃声の照明以外は

いや、全ては彼の想像の世界なのかもしれない。
苦しんでるのは自分だけではない事くらい知っているけれど、やっぱり苦しいんだなぁ。
頭が痛い
頭が痛い





寒い

何も無かった

初めから何も無かった。

なんて退屈な世界なんだ。

自分は何をしていたのだ。

過去の自分は何を生き甲斐にしていたのだ。


今の自分は何も手にしていない。

くだらない。


頭が

回路が

ノイズが

自分が世界のノイズのようだ。
久しぶりの書込みです。
なんか、退屈な人生を変革させようと環境変えたら、まあ、仕事が出来ない落ちこぼれです。さて、来年はもう最前線は退こうか迷っています。

そんな息苦しい、プレッシャーの毎日の中だからこそ、実はここに戻った次第。今度はその辛い環境からエスケープしてきたみたいな。いやぁ、残していて良かった。

以上が経過。

これを誰かが見てくれたら、別に報告無くても嬉しい。誰かが何となく見て、何となく何かを感じてたり考えたりしたかもしれない、という希望的観測が出来るスペースがあればいい。
今はそれでいい。

なんていうか、自分にとっての日常を続けるための拠り所の一つになり得るとは考えているんだよね。

うん。

というわけで、こんばんは。

そして、また、次の機会に。
私は直感的に感じる。
今のままでは心臓が動いているに過ぎないと。

結果は勿論手にしたいけれど、そもそも手にする為の行動さえしていない。

目的を持つ、意思を持つ行動をずっとしてかなかった。

そんな毎日がとても無駄に感じて、勿体無い日々を浪費することに後悔する。

時にはそれを忘れるような刺激がある期間があっても、それは一時的なもの。

そんな不毛な毎日を、毎日を消費することを続けてきた。

どこかで変わらなければ、必ずこのまま死ぬまで、こんな不本意な想いを拭えないまま、脳内に纏い続けながら生きないといけない。

苦しいのです。
不安なのです。

自分は何も持たざる、何も意思を持たない。

存在不要と言われても差し支え無い存在。
心の平安を望んでいる訳でははい。誰にも、あの人にも理解されなくってもいい。それは現象なのだ。僕自身が感じるもの。自分しか感じられない世界を表現しようとしているだけだ。今は取り返しはつかない事。オ前に解るのか?僕は繰り返し問いただすけれど、それは感情の迸りの一部でしかなくて。そういう状況説明でしかない。文面上でも、せいぜいベクトルの大きさの表現でしかない。そしてそれ以上にもならない。
感情のフレア。
最近怒りっぽい。元来表に出す前に一度考え結果冷静な対応をする自分が。原因が分からないが、良くない兆候である。多分要因ではないだろうが、カルシウムのサプリが丁度切れた時期と重なるから、カルシウムのサプリをネット注文した。

金を無駄遣いするのは楽しい。