manuscript paper
過去ログ43
2011/1/5 21:20
▼ 酒を飲み過ぎた次の日はとてもじゃあないけれどマトモに動けず、コンビニで吐き気と戦いながら立ち読みをする男。
クルクルパー。
そして今日は善光寺って寺に初詣に行った。
百五円を賽銭箱に投げ入れ、願い事を思い浮かべる。
まあ、いつもの事だが、その願い事に『神様〜』は付かない。そういうものだと自然に身に付いたものだ。
僕の家系は神様を口に出したりしない。少なくとも僕は神様を信仰していない。
だから賽銭を投げて浮かべる願い事は誰に向けているのか自分でわからない。でも平日には味わえない少し違った気分になれるのであれば、百五円も全然高くない。
その後帰りがけに地方アナを生で見掛けた。こんな一日。
平和な休息はもう今日で終わって、明日からは一時間の通勤電車に揺られる生活が始まる、たった二日間の電車通勤です。
朝六時に起きるなんて、考えただけで身震いします。
2011/1/5 21:20
▼ かも…なんてない。
っだったら…もない。
それは存在しない。あるのは勿論今現在だけです。
仮定をするのは悪い事ではない。それでも現在の不満をそんなことで拭い去る事はできないのだから。
繰り返し僕は自分に言い聞かせる。大切な物なんて何も無い、そんな架空の物を理由に足踏みをしたり、立ち止まっているのはくだらない、迷いで躊躇うのはいくらでもあるのだろうけれど。
結局どこにも正義は無いし、正しささえも無い。
現実という形容し難い現在がある。そこには永遠に続かない出来事や沢山の人々の入り混じった感情が、自然というステージに漂っているだけ。
明日の事なんて正しく予知出来なくたって死ぬ程には困らない。
僕はクリスマスに便乗して大好きな照り焼きチキンを食べる。
別にこの時期に彼女が居無いから悲しいなんて感じた事も一度も無い。そんな人間だった、照り焼きチキンが好きな事に理由がないのと同じ。
思考は濁り…いや、違う。整理が出来なくなって、始めに書きたかった事からどんどん枝分かれしてしまう。収拾がつかない。もう思考をコントロールする事が出来なくなった。でも、もう、そんなことさえどうでもいいんだ。
そう、現在に身を任せる事で退化している。それでももう面倒なんだから。
2010/12/26 20:56
▼ 誰独りとも正確な理解なんかできない。僕をリスペクトしているかの様な彼だって、本当は僕の思いの20%も解っちゃいない。逆に気を使って、まぁ、全く違うというわけではないから、一部同意はして。
その程度だ。
別に僕を理解してくれないからって、悲しんでいるのではない。僕のスタンスはそもそも他人なんて関係ないのだから。それは時には僕の一部を理解してくれた人達には感謝しているし、僅かでも自分が理解されたことが嬉しかった。でも、そんな閃きの様な幸運を再び待つ事は止めよう。まったく期待なんておこがましいよ、どうかしている。共有する快感なんて期待せずに、目の前のラーメンでも食べる方が手軽で手っ取り早いのだから。
社会や他人は僕の何一つも共有できない、なんて苦しんで苦しんで、耐えられないのなら、死んでしまえ。別に大した世界でもない、そんな耐えるにあたう世界でも在るまいし、他人に理解出来ようが出来なかろうが関係ないんだから。
そんなものはどうでもいいんだ。今の毎日が苦しみまみれで不確定な希望を持つことさえ疲れたのなら、ね。
僕は独りで、最近覚えたウィスキーをくゆらしながら、滑稽でも生きる選択をし続けている。そんな意識が常に無くたって。
10年は砂塵の中をさまよった気分だ。
2010/12/20 19:37