塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ3045 2017/2/3 15:18

▼世話係
読書❶
『太平記』第27巻 了。
ここで補記。
新南朝の地名の変化はもうすこし複雑だったようだ。
いまは五条市になるが、むかしはここも吉野だ。
穴生(あのう)は、復権が叶名生(かなう)という地名になり、
のち、賀名生(かなう)へ、
明治になって読みだけが「あのう」となる。

楠木親子は、大楠公と小楠公として美化される。
ふたりの別れは兵庫の桜井で、「桜井の別れ」として、
明治以降は教科書に載り、絵本に描かれ、「青葉茂れる」の歌になり、
天皇のために命をささげるのがいかに美しいことかと国民を洗脳した。
歌はUチューブで聞くことができ、いまも洗脳されたままの人がいる。
2/3 15:18

▼水前
昨日は
あらためて今後へのヒントを頂きありがとうございました。いずれの方向を取るにせよ「タイヤ道」と私は死ぬまで付き合わざるを得ない様です。そういえばタイヤも有機物です。無機質なものでなく命を持っとります。全うさせてやらんといかんですたい。
2/3 14:36

▼世話係
読書❶
『太平記』第27巻 了。
ここで補記。
新南朝の地名の変化はもうすこし複雑だったようだ。
いまは五条市になるが、むかしはここも吉野だ。
穴生(あのう)は、復権が叶名生(かなう)という地名になり、
のち、賀名生(かなう)へ、
明治になって読みだけが「あのう」となる。

楠木親子は、大楠公と小楠公として美化される。
ふたりの別れは兵庫の桜井で、「桜井の別れ」として、
明治以降は教科書に載り、絵本に描かれ、「青葉茂れる」の歌になり、
天皇のために命をささげるのがいかに美しいことかと国民を洗脳した。
歌はUチューブで聞くことができ、いまも洗脳されたままの人がいる。
2/3 14:29

▼SYUPO
中澤君から
留守電が入っておりまして、火事があり、消防団の仕事の関係で、来れなくなってしまったそうです。
3月16日で大丈夫か、もう一度確認しておきます。
2/3 0:58

▼世話係
会のことC
あのころ、1970年代は
週三回やっていた。常時30名がいたが、
仲間割れしたのか、10名ほどがこなくなったりした。

みんなが勉強をしたがったので、本を読んだ。
ひとりでもすぐわかる内容は避けて
すこしだけ、むつかしいのを読んだ。

会場費がいらなかったので、受講料は
安かったが、それでも払えない人がいた。
べつに取り立てない。
わたしも足代も貰えなかったりしたが、
会社の給料で足りている。

初め、喫茶店に流れたが、やがてあちこちの居酒屋を
放浪した。いつしか、いちばんやすい「みや」に定着した 。
2/2 3:43

▼世話係
ボールは
出版社にあります。
諾否を待っている次第です。
2/1 13:39

30463044

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