塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ3040 2017/1/29 0:22

▼世話係
読書
『太平記』第24巻 了。
伊予の国から吉野朝に、だれか大将を派遣してくれとの要望がきた。
後村上天皇は、脇屋義助(よしすけ)を送った。

なんとしたことか、義助は伊予の国府、
愛媛県今治(いまばり)に着いたが、病気になり、
「打ち臥す事わずかに七日を過ぎて、
つひにはかなくなりにけり」

大将の死を隠して、四国や広島の足利軍と
海上と陸でよく戦ったが、義助の死はすぐにみなに知れ、
敗退するしかなかった。
1/29 0:22

▼世話係
読書
『太平記』第24巻 了。
伊予の国から吉野にだれか大将を派遣してくれとの要望がきた。
後村上天皇は、脇屋義助(よしすけ)を送った。

なんとしたことか、義介は伊予の国府、
愛媛県今治に着いたが、病気になり、
「打ち臥す事わずかに七日を過ぎて、
つひにはかなくなりにけり」

大将の死を隠して、四国や広島の足利軍と
海上と陸でよく戦ったが、義助の死はすぐにみなに知れ、敗退するしかなかった。
1/29 0:18

▼世話係
読書
『太平記』第23巻 了。
一巻ぬけているので、すこしだけ、話は飛んでいる。

新田義貞の弟、脇屋義助(よしすけ)は、美濃で敗れて知多半島まで逃げた。
船で伊勢へ渡り、深山を越えて吉野にたどり着いた。

後醍醐の子の後村上天皇は、義助の働きを功としてほめた。

ほか、武家の暴走、仲間うちでの争いなど、
エピソードがならべてある。
1/28 17:52

▼世話係
読書0
『太平記』第22巻、読みたいが、ない。
どこかにないか。600年すぎたが、
どこかに写本は残ってないのか。

室町の管領(かんれい)の指令で、
役人が全国をまわって22巻の写本を焼いた。

足利尊氏・直義(ただよし)兄弟の
驕り、奢侈、非道、悪逆な行為を記した巻だったようだ。
1/28 15:12

▼世話係
読書2
第21巻の最後に、あの話がある。
バサラ大名の高師直(こうのもろなお)は
足利尊氏の側近として
栄耀栄華の日を送っていた。

塩谷高貞(えんやたかさだ)は、船上山から後醍醐に付き添っていたが、
尊氏側に走った。

ことのおこりは、高師直が塩谷判官(ほうがん)の妻に懸想したことだ。
女を得るために、塩谷が反乱を計画していると尊氏に讒言した。

追討の許可を得て襲撃し、殺した。
塩谷だけではなく、女もおさな子も、腹の中の子も、家来も殺した。

のちの『忠臣蔵』で
吉良の名に高師直、
浅野が塩谷判官になる。
1/28 1:02

▼世話係
読書1
『太平記』第21巻 了

後醍醐天皇が死ぬ巻だが、じつにあっさりと、病気が悪化し、
左の手に法華経、右手に剣を持って、
「御年五十二にして、ついに崩御なりにけり」とある。
遺言で義良(のりなが)親王が南朝を継いだ。のちの後村上天皇で、
北畠親房(ちかふさ)が補佐する。
吉野朝での後醍醐の政治については語られない。

越前では新田義貞の実弟の脇屋義助(わきやよしすけ)が黒丸城を落として敵を討った。

『太平記』40巻の内の半分を読んだが、
ヒーローがつぎつぎと亡くなった。
1/28 0:40

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