塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ3037 2017/1/25 14:57

▼世話係
読書弌
『太平記』第19巻 了

この巻はみじかい。
かんたんに記して置くと、
新田義貞は杣山(そまやま)から越前市(国府)の敵軍を破り、勢力を増した。

あの東北の北畠顕家(あきいえ)が再度大軍で
南下してきて、鎌倉足利軍と利根川をはさんで決戦、打ち破り鎌倉を制したのち京都を目指した。

生き残った鎌倉勢が後を追い、青野ヶ原で衝突した。京都からも足利軍が出てきた。
北畠は伊勢へ回り吉野を目指した。

わたしは岩波文庫の「古本系」で読んでいる。
このあと、阿倍野で北畠顕家が戦死する場面はない。
1/25 14:57

▼世話係
読書C
一方、幽閉された後醍醐にひそかに逃亡を
すすめた世話役の武士がいた。
隠岐島のときと似ている。
今回もうまく行き、伏見を通って奈良を目指した。
まだ安心できないので、夜道を吉野の金峰山寺まできた。
吉野の人は天皇を受け入れるかどうか
相談して、支持することになった。
後醍醐の遷座を知った支持者が集まってきた。

一方、新田義貞は杣山にいた。
金崎城から北東に20キロ、山城だ。
いまの南越前町でピクニックでやってくる人も多い。
1/25 14:07

▼世話係
読みました。
何年かたって、気がついて、読む人もいますね。
(わかけんさんのブログですよ)
1/25 13:53

▼わかけん
ブルドッグの重量上げ
を着ているヤツは、トランプ支持のアメリカンヤンキーでしょうか。。(笑)

ブログの2014年1月12日、関田稔さんが亡くなったときのものですが、新しいコメントが入っていました。
「せきた書房の関田稔さんに師事(?)していたことがあります。」とありました。
気づいたのが半月後で、あわててコメントを返しました。
1/25 12:58

▼世話係
読書B
軽佻な天皇に忠誠を誓ったばかりに、
楠木兄弟は湊川で死んだ。

越前の金崎(かねがさき)の城にこもった新田義貞は、
新たな十万人の寄せ手に窮地に追い込まれていた。
数人の高官と杣山(そまやま)
に逃げたが、残された義貞の子や家来は
食料もつき、一日二頭の馬を食い、
最後は死んだ兵の肉も食った。
ついに814人が自害する。

「戦場の土となりにけり。今に至るまで、その怨霊この地に留まつて、
月曇り雨暗き夜は、叫呼求食(きゅうこ くじき)の声、
しゅうしゅうとして、人の毛吼(もうく)を
寒からしむ」
1/25 0:33

▼世話係
読書A
『太平記』第18巻 了。

足利尊氏にだまされて、後醍醐が比叡山を下り、
花山院(かさんのいん)に幽閉それたとき、
天皇親政の数年が幕を閉じた。

明治政府は天皇を担いだ。
武家の徳川を倒して明治天皇の政治になった。その正当性を宣伝するために、
後醍醐を美化した。
いまは「建武の親政」というが、
戦前までは「建武の中興」といった。
武家に奪われていた朝廷を復興したえらい天皇になった。
ほんとにそうか。
この頃都にはやるもの、の落書きはよく知られている。

此比都ニハヤル物。
夜討強盗謀綸旨。召人早馬虚騒動。生頸還俗自由出家。
俄大名迷者。安堵恩賞虚軍。
本領ハナルヽ訴訟人。文書入タル細葛。云々
1/24 22:24

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