塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ3035 2017/1/24 1:11

▼世話係
十割冗談
仲のいい女性が男に求めるのは、
ずっといっしょにいてくれるに尽きます。
これまでそんなふうにはできませんでしたが、そろそろできそう。
老後の世話を頼むわけですが、
そのことは、おくびにも出さずに、
いえにきてもらおうと思っています。
関係は妻でも愛人でもない。

虫が良すぎますね。
1/24 1:11

▼世話係
東京人の
大坂知らず。
と、書くつもりでした。

小説の会話と
芝居の会話との違いを
こんど話しましょう。
なに、簡単な落ちですが。
1/23 9:49

▼咲
大阪も知らず
おはようございます。申し訳ありません、2月2日は休ませていただきます。大阪出張が入りました。
出張をおおいに活かして、母の様子見と、いかいのに行ってきます。杏子を探ります。
1/23 9:12

▼世話係
東京人
の東京知らず。
職種によって一概には言えないが、
東京生まれの人が東京をよく知らないのに気がついていた。
生活圏や大学の周辺、会社の一帯は熟知していても、関係がないとこに、のこのこ行かない。
ま、それで文句があるわけではない。
1/23 1:04

▼世話係
読書d
福井県敦賀市。
敦賀駅から1キロ北に気比神宮がある。越前一の宮だ。
さらに北に1キロ、金崎城(かねがさきじょう)がある。
海に突き出した三方が絶壁の上にある。
いまは沖を埋め立ててコンクリーの工場ができた。
ぜひ、ストリートビューでみてください。

ここに新田勢の主だった人が走りこんだとき、
たったの13騎だった。

寄せ手は、海からも船で攻撃したが、
要塞のような城を攻めあぐね、撤退した。

新田一族と皇太子たちは、海で遊び、義貞は横笛を吹いた。

この事態を知った京都の尊氏は怒って、四万の兵を送った。
1/22 23:23

▼世話係
読書c
延暦寺で後醍醐と新田は別れた。
もう二人が言葉を交わすことはない。
天皇は山から西へ、京都側に下りた。

新田義貞は皇太子とともに東の坂本へ、琵琶湖畔を北に進んで、敦賀に向かった。
気比神宮(けひじんぐう)の神官が味方に付いて城を造っていた。

後醍醐は捕えられ、御所内にあった花山院(かさんのいん)に幽閉され、
供奉(ぐぶ)した公家は追放され乞食同様になった。
武家の主だった者は首をはねられた。逃亡した兵は、のちに吉野に集まってくる。

旧暦十月の北国は雪で、新田軍では凍死する兵があいついだ。
山を越えて、日本海に出なければならない。

尊氏から命令された各地の武家が、
行く先をふさいだ。
1/22 18:10

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