塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ3002 2016/12/4 18:19

▼世話係
一方、楠木正成(くすのきまさしげ)は、河内の千早の赤坂城で30万騎の寄せ手にかこまれていた。
味方を敵の背後のしげみにひそませたり、
城壁をのぼってくる敵には矢や鉄砲、糞尿に熱湯をあびせた。
壁を二重にして、前方に敵が取りすがると、
その模擬の壁を崩した。

真田幸村は大坂冬の陣で楠木をよく真似た。
幼児にむさぼり読んだ『太平記』が役立った。

多勢に無勢(ぶぜい)。楠木は城に火を放って脱出した。第三巻もまた、盛りだくさん、様々な戦闘の悲喜こもごもが語られた。
12/4 18:19

▼世話係
『太平記』 第三巻7
一方、楠木正成(くすのきまさしげ)は、河内の千早の赤坂城で30万騎の寄せ手にかこまれていた。
味方を敵の背後のしげみにひそませたり、
城壁をのぼってくる敵には矢や鉄砲、糞尿に熱湯をあびせた。
壁を二重にして、前方に敵が取りすがると、
その模擬の壁を崩した。

真田幸村は大坂冬の陣で楠木をよく真似た。
幼児にむさぼり読んだ『太平記』が役立った。

多勢に無勢(ぶぜい)。城に火を放って脱出した。
12/4 18:15

▼世話係
太平記』第三巻6
山城国まで逃げて、天皇一首。

「さして行く笠置の山を出でしより、
雨が下に隠れ家もなし」

さして行くは、笠をさして、である。その笠から出てきたのだ。もう住むとこはない。
技巧的な句だ。後醍醐の作ではないだろう。
もっとせっぱつまっていたはずだ。

ここで逮捕され、六波羅探題に公家たちと幽閉された。六波羅蜜寺のあたりになる。

陶山くんの先祖の名は、備中国(びっちゅうのくに)の住人、
陶山義高(すやまよしたか)とある。
12/4 16:18

▼世話係
『太平記』第三巻5
「50余人の者ども、太刀を背中に負い、刀を後ろにさして、城の北に当たる石壁の数百丈そびえて、鳥もかけり難き所よりぞあがりける。」
火を放った。
「さる程に類火東西より吹いて、余煙皇居に懸りければ、主上(しゅしょう)(後醍醐)を始めまゐらせて、宮々、卿相(けいしょう)(公卿)、皆徒裸足(かちはだし)なるていにて、いずこをさすともなく、足に任せて落ち給ふ」

江戸になって、非人の辻芸人「ものよみ」は、こういう一節を、凄さと哀切さをまじえて朗々と読んだ。
12/4 13:04

▼世話係
『太平記』第三巻4
陶山(すやま)くんの祖先のことだ。
もう半世紀ちかく会ってない、ここ20年は通信もない。生きているのか、死んでいても友人だ。倉敷に接する水島にいる。

笠置山に月も星もない暗黒の夜。
しかも風雨がはげしさをましているなか、山城に夜討ちをかけようとしている少数な精鋭隊がいた。つまり、このリーダーが陶山君の祖先である。

友は、「反体制・反天皇」で一貫している。なのに祖先が反乱軍を制圧する側なのに眉をしかめたかも。「反天」をよしとしたか。

イデオロギーできびしく峻別して、有能な仲間まで殺した悪夢の時間があったことを忘れるな。
サヨクを継承する熱血の人はなおさら!

言い訳はできない。
12/4 12:25

▼わかけん
読書
進んでますね。
太平記から現代の政治闘争まで、想像が拡がりましたね。
わたしもColdか流行りの胃腸炎か、めずらしく腹をやられ二日ほど寝込みました。
今朝、ようやく回復。
昨夜、寝ながらスマホで漱石とカン教授のEテレを見ました。
「亡びるね」のひとことだけで、よくまあ90分の番組を作れるものだと感心します。
中韓人への蔑視の指摘もされてましたが、その役割は中韓人にまかせ、
「漱石に民族差別心はない」と、日本人の作家に言わせていた。
作家は黒川創でした。
ハルピンの伊藤暗殺などを描いた黒川の『暗殺者たち』という本を読みたくなりました。
12/4 11:18

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