塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ2928 2016/7/6 4:52

▼世話係
ひらがな
わたしも、ルビ多用で
各社から
顰蹙を買いましたが、
でも,高学歴の人でも、
東京の日本橋と
大阪の日本橋のちがいを
知る人は、年齢によっても違いますが、
半々か。

わたしも知りたいので。ここへ投稿してください。
だれもしないでしょうが。
7/6 4:52

▼わかけん
それに気づいていたのか、
わたしが読んだのは増補版で加筆修正されています。
金曜日版は未読で比較できないのですが、著者はきんねんになく、ひらがなをたようする文章を書いていますね。
無意識に、オレは上から目線の知識人とは違うよ、違うはずだよ、と言っているのか。
7/6 4:38

▼世話係
読書6
もう、おしまいにしますが、
辺見庸の本の致命的な欠落は、戦後の日本を語るに、
小林秀雄や丸山眞男を引用し、知識人の神さまを批判することで、筆者も一介の知識人の位置にすべりこんでいる。
そんなことは、もういいのだ。
それより、欧米中心の知の限界を指摘すべきだし、
なにより、戦後70年列島の上に寝そべっている図体について一行でもいい、ふれるべきでしょう。
パースペクティブのことを言っているのです。

おやすみなさい。
7/6 1:44

▼世話係
読書5
わたしは上司が出兵された土地でなにをしたかを
知りたくなかった。かれらも語りたくなかった。かれらが、チョー生意気だった新入社員を
寛容に受け入れられてくれたことの背景に、
かれらのやましさがあった。
わたしは気づいていた。
わたしも父を人身御供に差しだしている。
文句はないだろう。
7/6 1:33

▼世話係
読書4
カストリ雑誌かなにか、わたしが貸本屋で読んだ、猥雑な体験談はいまき消えたか。
国会図書館にない本など山ほどある。

作家で書いたのが堀田善衛と武田泰淳か。
筆者は父が戦地の体験をしゃべらなかったのを、日本的な風土のせいにするが、
わたしはそうは思わない。
わたしも、戦争に行っていたら、帰ってきても、なのも家族に語らない。
語ることはなく、ただ恥辱があるだけだ。

わたしがサラリーマンになったのは、戦後15年ほどだ。係長も、課長も、部長も帰還兵だった。
7/6 1:29

▼世話係
読書3
それがそうではない。
戦時の事象、侵略した他国での強奪・強姦・放火は、作者の身には刻まれてないので、中国に出兵した「父」の身体を借りて思考を編むことになる。

同時代の無数の犯罪を、具体的・個人的・身体的な次元に引き寄せると、引き寄せるほど、倒錯した残虐愛好、死体マニアの領域に引用がかたよってくる。
たぶん筆者はそのことに気がついた。
わたしの10代のころ、昭和20年代、
戦争体験の本が、いっぱい出た。
おおくが嗜虐的な描写をふくんでいて、
どきどきして読んでいた。
7/6 1:17

29292927

掲示板に戻る