塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ2923 2016/6/22 0:17

▼世話係
うーん
蜘蛛姫、ありがとう。
ますます、おもしろくなりましたね。
都の専門部署もわかってない。

そもそも靖国通りなんか、新しい。何度も言うように、青梅街道は紀伊国屋の前を通っていた。

靖国通りをつくったとき、新宿なんか、田舎の駅だ。歌舞伎町もなくて、川が一本流れている湿地帯だ。
角筈村は広くて、歌舞伎町から西口にかけてをいい、そこに都電(市電)を走らせた。
大ガードはなくて、踏切でしょう。
そこへ西武がきていたので、ややこしくなりますか。
それが東口へまわりこんできたのですよね。

蜘蛛姫のおかげです。いろんなことがわかりそう。
6/22 0:17

▼蜘蛛
しかし
現在の大ガード下の歩行者専用通路は、
昭和43年に北側に拡張して出来上がった通路という事なので、
トンネル型のデザインにしたということなのか。
6/21 20:56

▼蜘蛛
電話ありました
現地の大ガード下にも行って調べてくれたそうで、本当に有難い限りです。
調べていただいた結果報告です。
@大正11年には道があった。
A大正14年に道を北側に拡張する。
B昭和40年から43年にかけて、北側に2度目の道路拡張をする。
C昭和6年の写真で、大ガード下に都電の レールが写っている。

その写真の大ガード下のレールは昭和6年の写真と言われたので、
私は、西武軌道線のレールですか、と言ってしまいました。
明日念の為に、その写真は、拡張した道路の上にあるレールなのかを聞いてみます。
6/21 20:41

▼世話係
あの騒擾の時代
同じ大学を卒業した人と
20年後に松坂であった。
駅のそばの部落と、本居宣長の旧居を訪ねた。
二度目である。前にきたときはまだ記念館はなかったが、国学者の家のなかに入れた。二階の勉強部屋も、家族のいる部屋、風呂も便所も見た。障害を持つ息子もここでおおきくなったのか。

今回は管理がきびしく、だれも入れず、土手から家を眺めるだけだ。つまらんね。大東亜戦争のときは、利用しまくったくせに。

で、あたらしい記念館でいろいろと遺物を見て、すこし感動して宿へ行くと、学生のころに私を知ったという主がいたのだ。
わたしは、人生でたった数枚の色紙を書く羽目になった。おもしろいので、この項、続く。
6/21 3:15

▼世話係
トーク小屋 続
ついでに、作品未定の日を列挙します。
提出を木曜に受け付けます。
計画してください。二度目の人もいいでしょう。

第12回  9月29日
第15回  11月10日
第16回以後はすべてブランクです。
日程は下の小屋のホームページでごらんください。
6/21 0:57

▼世話係
トーク小屋
http://bungei.info/

文藝トーク小屋ホームページ更新しました。

年内の開講日掲載。

掲示板をつけました。
ご自由に書き込んでください。
6/20 14:03

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