塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ2899 2016/5/12 1:37

▼世話係
閑話C
書いていると、眠くなった。
その河川敷のアトリエを知っている人は、
まだ、そう、まだ数人います。
ここをお読みいただければなつかしいでしょうね。

ワセダの水野忠夫先生はわかいとき、
アトリエのそばで、新婚生活でした。
これは余聞。
5/12 1:37

▼世話係
閑話C
書いていると、眠くなった。
その河川敷のアトリエを知っている人は、
まだ、そう、まだ数人います。
ここをお読みいただければなつかしいでしょうね。

水野忠雄先生はわかいとき、アトリエのそばで、
新婚生活でした。これは余聞。これは付録。
5/12 1:35

▼世話係
閑話B
前世紀の後半、(前半も同じかも、わたしが知らないだけか)。
くりかえすと、前世紀後半、神田川はすぐに氾濫した。川添町は濁流におそわれた。
貧乏画家は安かったので、ここにアトリエを
作ったのだろう。
まわりも、貧民ばかりだ。戦後の貧民。
ムーンロードも河川敷だが、アトリエはもっと低地だ。
水につかった。
わたしや長谷川が通っていた「小屋」もつかった。
乾くのを待った。
5/12 1:31

▼世話係
閑話A
「上京したら一度こい」という手紙をいただいていた。
当時は、花田や長谷川や菅原や野間や、ときには島尾や安倍やがあつまった。その元アトリエの小屋が東中野にあった。
当時の編集は東大の闘士がデスクにいた。
一生懸命、乗り換えの駅を教えてくれた。

アトリエの位置は神田川の河川敷にあった。
いまもある。
当時は、川添町といった。
『黄色い国』の青子の村の名は、この町名を借用した。すこしぐらい、アイロニーがあったかもしれない。
5/12 1:23

▼世話係
閑話@
コピー200ページは読み散らした。
なかなかの質感のものだから、
楽しんだともいえる。
にしても、半ば義務、つまり仕事だ。
終えると、ほっとする。
いま、そういう時間です。

こぼしで東中野のことを書いたら、
もっと書きたくなった。
いい気分なので、
ぼそぼそと、東中野。

最初、東京駅から東中野に到着する方法が
すぐにわからなかった。
どこかで、各駅に乗り換えなければならない。それがむつかしい。
笑止千万。

この話は面白いので、なんども話した。
今夕は駅のそばを流れる神田川について。
5/12 1:13

▼世話係
いいですね。
ジーンときました。
ジンで咽喉をうるおしていましたか。

古い歌という感じが、あまりしなかったのは、
パンダのお肌の若さのせいです。
ここはジョークではありません。
5/12 0:20

29002898

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