あかはたともみの”でいり〜赤旗”掲示板

過去ログ402 2009/4/28 23:45

◆小泉晋三
神奈川
pochidabwoo様
仕事が減る中,体を無理しての深夜のダブルワークご苦労様です。これ以上,体に負担がかからぬよう心配しています。私は幸い特に体に異常はないが,ダブルワークでなくても経験があるので夜間の作業の辛さはわかります。18か19の頃は昼間の仕事より給料がいいので,38度の熱があっても,ものともせず徹夜の郵便物の仕分けのバイトをしたものです。年月がたち,つい最近まで交代制の仕事をやっていましたが,世間が寝ているときにする仕事はきつく感じるようなりました。再就職は完全に昼間の仕事を望んでいるのですが。警察・
消防・病院・交通機関などは夜間勤務は当然必要であるが,自動車などの生産に交代制は必要とは思えないのです。働く者の健康のためにも,やむをえぬ職種を除いて,夜間の業務に制限をくわえるような法律があってほしものです。長い期間,夜間勤務を継続していると,血圧がおかしくなり,実際寿命を縮めるという話を聞いたことがあります。ある意味,この仕事の激減している経済危機の時代に働き方のあり方を国民全体で考えてみるのも良いのではないかと思います。だけど,みんな生活にアップアップでそのような余裕はないでしょう。
お体いたわって下さい。本来のお仕事で活躍できるよう祈っています。
2009/4/28(火)23:45

◆pochidabwoo◆gVRs
埼玉
ダブル・ワーカー伝-02
仕事が減った。発注元自体が停滞し始めたからだ。途絶えずに入ってくるのは、売上(報酬の)回収に不安の多い取引先ばかり。一発間違えば、取引先と一緒にタイタニック。
やむなく、本業以外のアルバイトを始める。不規則な時間の、お日様が地球の向こう側に行っている時間の仕事、雑誌の配送。時給千円と千二百円。今現在の同種のアルバイトよりちょっと良いのじゃないかと思う。
朝02時に起きて大宮の近くの営業所へ。2tトラックに乗り換え、都内へ荷を取りに行く。半載以上満載かにして都内にある数カ所のセンターに配って回る。手伝いはいない。全部ソロ。最初の頃は手積みで辛かったが、後にリフトになって少し楽になった。リフトの運転はそこで体得した。コースは40〜60Kmと短いが、基準時間があるから最後の場所からカッ飛びで帰る。スピード違反で07時。
戻った翌日の19時、再び大宮へ。今度は営業所一杯に集められた数種類の荷を自分のコースの指定された分量を積む。他のコースの車の荷積みを互いに手伝って、そして前日とは異なるセンターへ配って回る。こっちのコースは長い。一回で100キロ近く走る。またカッ飛びで帰る。スピード違反で04時に戻る。
翌々日はまた02時起きのコースへと続く。

一週間に2セットやったのが最初。コースはまだ他にもあって、一時、他の日に二つ、別のコースを入れた。疲れは通り越していた。
本業も入ってくる。受けたくないものもあったが、取引関係が途絶えれば、元に戻すのは目の前の苦労より苦痛だ。数時間しか眠れない日(夜に眠るとは限らない)がしばしばだった。都合の悪いことに、私は寝付きがひどく悪い。
ダブル・ワーカー二年目の頃、季節が良くなったのに腰から下、両脚の先までやたらと冷えている。自覚症状の始まり。よく躓くようになり、ある日、右目に白いスクリーンがかかったようになって治らない。運転には危険。状態を説明して即日で辞めた。私が「冷え」と感じたのは「麻痺」だった。
私の身体は戻れない状態に至った。

本業をやめることはひどく効率の悪い仕事(収入の減少)を選ぶことになるから、私はダブルにした。本業は太陽の下で営まれている会社が相手。だから、明るい時間は空けておかなければならない。必然的に、お日様のいない時間の仕事しか探せない。
「個人の努力」。ケッ!クソくらえだね。
2009/4/28(火)18:13

◆pochidabwoo◆gVRs
埼玉
ダブル・ワーカー伝-01
これは小泉氏宛というより、自分の事を書いたものです。
以前に書いたことがあると思いますが、いわゆる「ダブル・ワーカー」をやっていた時期が私にはあります。
収入の基本は自営(と言えば聞こえはいいが、一人だけのフリーランス)の仕事。入ってくれば仕事自体はかなり利益率が高い。いささか特殊な仕事で一人でこなしていたから。必然的に労苦はある。
収入の安定化には複数の取引先の確保が必要。取引先も私のような発注先を複数抱え、業務に支障なきようにしていた。それが一般的。
その複数の取引先から、どんな内容でどんな分量のものがいつ入ってくるのか、まったく分からない。二ヶ月もこなかったと思えば、いきなり三ヶ月かかっても終わらない仕事が入ってくる。複数の取引先から仕事が舞い込みバッティングした時はきつい。無下に断るのは禁物。事によっては次の仕事を失う。徹夜作業の最長は2.5日ほどだったと思う。1.5以上は回数も記憶していない。一睡もしない。
結果的に足が出て(赤字になって)も、納品は果たさなければならない。

契約書なんて結構なものはない。「こういう内容の仕事があるが、どう、やる」と説明され、「やらせていただます」と私が答えればそれが「口頭契約」。条件は毎回内容が違うからその度毎、というか暗黙の了解。「一度それを受けたら何としてもやり遂げるのが人の道でしょう」というような阿吽。
こまごました事はその時その場の交渉力で決まる。強く出て嫌われれば、次の仕事が遠のくか取引関係が消滅する。
支払いは基本的に相手都合。半年かかってやっと納品、二ヶ月後支払いのはずが「一ヶ月ジャンプさせてくれ」の一言で延びた時は、サラ金から金を借りて繋いだ。

誰しも思うように私も、楽で儲かる仕事が入ってくることを望んだ。振り返れば、「楽」の要素はなかったが、利益率の極く高い仕事は二、三あった。誰もが知る日本屈指のシンクタンクが、日本海側の県の連合体の仕事を回してきた。失敗したら終わりだと緊張もした。
利益率の高かさのもう一つの理由は、コンピュータのソフトと私の下請けの印刷屋さんの力。ソフトはちろんそれを使えなければだめ。ところがそのソフトが馬鹿げた高額。なんのことはない、以前からコツコツと貯めた資金を原資とした自己投資がたまたま功を奏しただけこと。
2009/4/28(火)18:08

◆pochidabwoo◆gVRs
埼玉
小泉氏との共通項
小泉晋三氏の書き込みは、いよいよ小泉氏らしさのある(というと高慢なもの言いと受け取られるかもしれないが、腹蔵無く、ご本人の気持ちが伝わる)内容だと読みました。気分を害されたらお許し願いたい。

私も共感する点があります。
例えば、自民党や財界人や怪しげなエコノミスト系のコメンテーターが言う「そんなことをしたら、屋台骨である大企業が海外に出て行ってしまいますよ」というものに対して、「トヨタやキャノンなどは国外に出て行ってくれたほうが,せいせいする」というのは、事細かい点を脇において「共感」をおぼえます。
どうやら技術大国ニッポンを支えているのは、町工場やそこの職人さんであったりすると思えるからです。就労人口の多数は、大企業ではなく中小零細企業の側にあるのですから、短期および長期の施策としても、事業振興するならそちらの方により篤くすべきではないか思います。技術力の喪失は、国の未来の喪失を意味するのではないかと…。

農業問題についての指摘も、かなり「共感」するところがあります。特に自給率と、今日再び問題化している「病疫」の問題を考えると、何も無理して海外のものをふんだくってこなくてもいいのじゃないかと…。

それから、「日本より経済的には小さな国だが,人々を大切にするということでは,世界一だ」という箇所も同様に「共感」します。今日この国は、「人を大切にする」という価値観がまるで誰かにかすめ取られてしまっているようです。
「切られた本人がだらしのない人間であっても,あたたかい布団で寝たいにきまっているだろし,3食旨いものを食べたいにきまっている。ひとりひとりが社会の大切な構成要員であるし,自民党や財界に壊された日本再建にがんばってもらわなければならない」と引用を続ければ、なんだか私は「共感」ばかりしてしまいそうです。
2009/4/28(火)18:06

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