塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ969 2010/11/7 11:43

▼わかけん
いよいよ
ゴールですね。地図もあとがきも書き終えて。
リヤカーでの道行はまたいずれ。しかし、をぐりにしてもキャタピラにしても、美女が引っ張らねば絵になりませぬ。乗っける方より引く方が大事。ビジョ、おらんかえ、ビジョ。
11/7 11:43

▼世話係
いいこというね
下戸の建てたる蔵もなし、か。
11/7 9:31

▼世話係
文春新書
の「あとがき」の一部です。
下から順に、上へつづきます。まちがいがあれば、いってください。
11/7 9:24

▼世話係
チェックしてください。
 終盤、四天王寺の場面で、宿神(しゅくじん)(摩多羅神)のことが出てくるが、服部幸雄のほか、山本ひろ子、中沢新一、川村湊、谷川健一などが深く広く論じている。この興味ある神様について述べることができなかったので、ここで右の論者を紹介しておきたい。
 「をぐり」の表記について酒席で指摘してくれたのは、わが小説『車善七』の編集者・野上龍彦である。また、リヤカーの提案と岐阜羽島駅から青墓を通って京都までクルマで運んでいただいたのは若山聡であった。若松孝二の映画『キャタピラー』にもリヤカーが出てくるが、その内容がつたわるまえの独創であったことをつけくわえておく。
11/7 9:21

▼世話係
つづき
七十の手習いだから、先行する膨大な本のページをめくりつづけたわけで、仏教のことがわからないとうまく理解できないだろうと空海や最澄、空也や一遍などから勉強を始めたものの、本稿の結論は、こんにちに残る説経節の内容が宗教的な救済からいかにほど遠いものであるかということになった。
11/7 9:14

▼世話係
下から順に読んでください。
その日、わたしをさそってくれたのは友人の高野邦夫であった。政太夫を紹介してもらい、いろいろと話をうかがえた。その後、説経節の現状などを記した冊子を送っていただいたけれど、ここでは生かしきれなかった。義太夫に押されて衰亡していたのを薩摩若太夫が再興、三味線を伴奏にして語り、この流派から出た若松若太夫の系列がかろうじて、こんにちに命脈をたもった。
11/7 9:12

970968

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