塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ741 2010/2/24 9:56

▼世話係
ユン ドン ジュ
龍さんたちの長年にわたる地道な活動が輪をひろげていますね。
 人生は生きがたいものだというが
 詩がこんなに たやすく書かれるのは
 恥かしいことだ。
2/24 9:56

▼世話係
ユン ドン
龍さんたちの長年にわたる地道な活動が輪をひろげていますね。
 人生は生きがたいものだというが
 詩がこんなに たやすく書かれるのは
 恥かしいことだ。
2/24 9:55

▼龍
CD版『尹東柱詩集』」
柳時京牧師は立教大学で尹東柱の存在を確かに認めさせることに力を尽された人です。三月で韓国へ戻られます。天沼さんは天真爛漫というか、素敵な方。世話係さんに今度お会いできる折に、CDを持参いたします。
2/24 1:05

▼世話係
訂正
トップの写真のネーミングを訂正します。むこうで直すのが煩雑なので。
「宗純ボウさんは、ここ酬恩庵(しゅうおんあん)一休寺で死去。シンさん(右)と遊ぶ時間はけっこうあったわけである。」を「宗純ボウさんは、ここ酬恩庵(しゅうおんあん)一休寺で88歳で死去。シンさん(右)と遊ぶ時間はけっこうあったわけである。」と。
2/23 23:58

▼世話係
センセは
年取って足も弱り、行きたくても行くのがタイヘンなのです。ベルさんがあとを継いでやってください。確かに、鎌倉に入ると、すこし息が詰まりますね。死者がいく層にも積もっているのです。鎮魂の念仏でも唱えなければやっていけない。
『北条百歳』で、住吉城の戦を書いたときも、コジャレタ逗子マリーナを埋めた死体を思いました。城跡の中心(小坪5丁目)は道もなく、熊笹をかきわけて進むと不意の崖で足をすべらせかけて、ぞっとしました。
2/23 23:54

▼べる
ジジセンセ、
はい、御本に「稲村ガ崎は最後」と書いてありましたよね。
べるは「どうして?また行って“あげて”くれればいいのに」と思いました。
観光地で観光客見て育ってきたので、ジジセンセのように深い情緒をもって歩いてくださると、とっても嬉しいんですヨ。
私、鎌倉で遺跡発掘してたんです。
由比ガ浜のほうは、掘るといろいろ出てくるって。
絶対行きたくない!と避けてました。
結局いかずにすみましたが、別の場所でも、たいして変らなかったと思います。
稲村ガ崎周辺は無いですが、極楽寺付近は掘ったことあります。
鎌倉の話題はけっこう得意かもしれません。
でも、私にとっては、なんか、いつもさびしい町です。
2/23 22:51

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