塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板
過去ログ738
2010/2/21 13:02
▼世話係信じないでください、センセを。とんぼ丸さんの「丸」と同じぐらいむつかしいです。さらに、なんということでしょう、わたしの出身地では、ずっと、もう室町のころから、「ら抜き」なのです。それをそのまま書いて、同棲していた女性からうるさく注意されたものです。
2/21 13:02
▼とんぼ丸瑣末なこと?「ら抜き言葉」をよく目にするが、「ら抜き言葉」は、すでに市民権を得ているものですか?
個人的に気になるときがありますが、わたしの嗜好の問題に過ぎないと考えたほうがよろしいでしょうか?
どうお考えですか、センセ?
2/21 12:30
▼世話係べる様わたし、ジジセンセです。
弱っているジジセンセを励ましていただいたようで、とてもうれしいです。もう稲村ガ崎には行かないと決心してたのに、べる様の名文を読んだり、また由井さんたちからいろいろと教えてもらったりしていると、また行きたくなるではないですか。金山の民の魂もザワザワととはうまい表現ですが、わたしもザワザワです。
2/21 0:10
▼べる鎌倉育ちで、山の内→由比ガ浜→極楽寺に30年住んでいました(今は新宿)。近くに住んでいても白山神社のこと、知りませんでした(今泉のほうにはありますね)。
金山という名称も、初めて知りましたが、海側から崖を見あげるたびに不思議なところだとずっと思っていました。
鎌倉で部落の存在について全く聞いたことが無いのが、疑問でした。でも鎌倉はいろんなことがあった場所なので、鎌倉人はあえて差別的にいうことは無いのだと思っていました。でも、センセ(?)の本を読んで、初めていろいろわかり、なんだか嬉しかったです。
極楽寺の役割や過去の地図をみて、極楽寺はそのようなところだったとは思っていましたが。極楽寺と京都の関係、たしかに思い当たることもあり、そうかそうかと、いろんなことがリンクしました。
センセが鎌倉を特別な思いで歩いてくださったことに、地元民として、お礼が言いたくなりました。センセありがとうございました。
センセに歩いてもらって、金山の民の魂もザワザワと喜んだと思います。
2/20 17:39
▼世話係そんなふうにぼうとしていると、近江町から兼六園はどう行くのかとケータイに電話があった。そのつぎに、香林坊から武家屋敷あとへきたという。浅野川大橋をすすめていたが、そこでは犀川にちかい。東の遊郭をすすめておいた。甘味処があったはずだ。神崎某が見合い相手の娘と歩いたり、死んだ先輩の妻につきまとわられたり、嵐の中を城に駆けつけたりした。なつかしいなあ。(ほんとに頭がおかしいね)
2/20 13:20
▼世話係なにか、こう、すっきりとしないのです。このところ、書く仕事、まったくしてない、隠退した状態。そのせいか、一日、頭が眠って、このままおかしくなるのではという感じなのです。必死に何かやったほうがいいのか。
2/20 13:07