塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板
過去ログ736
2010/2/18 16:48
▼ラメール編集部ご執筆のご相談塩見先生
掲示板にて失礼いたします。以前エッセーをご執筆いただいた雑誌「ラメール」でございます。またご執筆のご相談を申し上げたく南雪谷にお手紙を出そうとしたところ、ホームページで転居されたことを知りました。また以前のメールアドレスにお送りしたものも戻ってしまいましたので、本日文藝学校のほうに送りいたしました。
ご高覧いただければ幸いに存じます。
2/18 16:48
▼お城大好き下練馬村にてそうです。ここでした。掲示板に「ここには天和二年銘の北町聖観音坐像をはじめ北町の仁王像、馬頭観音や庚申塔など数多くの石造物があります」とありました。江戸と川越を結ぶだけの街道にしてはかなり栄えた宿場だったそうですね。宿場を読み返しましたが板橋宿まででした。お約束の残り二巻はいかがですか。
2/18 16:29
▼世話係大津関寺で姫は泣く泣く青墓宿へもどられる。
2/18 13:06
▼わかけん雨見ですな寒いっす。
逢坂の関寺には小栗も参拝したのでしょうか。青墓で照手姫と出会い、熊野のへの旅の途中。照手姫の引く車に乗せられて。
2/18 11:16
▼世話係ヒトのブログから中世の東海道、近江大津、有名な逢坂の関の傍らに、関寺(せきでら)という大寺(今は廃絶している)があったことを知る。往還する旅人が必ず参拝する境界の聖地で大いに賑わったらしい。一方で、乞食、非人が集住し、一遍も踊り念仏を挙行するような、誰にでも開放された「公界」(くがい)でもあった。このような寺は各地の関に存在しただろう。
2/18 10:52
▼世話係ブログのほうも訂正します。だいたいどこにでも行けましたしので。
を→
だいたいどこにでも行けましたので。
に。
ブログは訂正が面倒なのです。ナイトキャップで酔って更新しているので、今後ともまちがうでしょう。確信犯というところ。
2/18 10:44