塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ731 2010/2/15 18:55

▼岡坊
あっ
そんなことはない。ほかの場面でも書いている…。つもり…。
2/15 18:55

▼岡坊
あらー
三行だけの交接ですが、これがいいですか。
暴力を受けても、なお夫を支え、愛し続ける妻を描くのが難しいて、考えた挙句に唯一そこだけ、そのことを描いたところです。
男を悪者にするのは女の性かと、自分を訝ったりする時もあります。
2/15 18:45

▼とんぼ丸
ちょっとした情報
Googleでは予測検索機能を提供しています。
そこで、検索窓に "夫"と入れた後、スペースを空けるといくつかのフレーズが候補に上がるのですが、その筆頭に、"死んで欲しい"というキーワードが出て674,000件 と相当な数のページがヒットします。
その後にも、"嫌い"、"言葉の暴力"とかの強烈な単語が並んでいるのが、いま話題になっています。

暴力を離れてDVを思っても、もはや家庭は安住の地ではなく、そこは陰湿な戦場のような趣きで、家庭を持っていること自体、生き地獄。
人々は能天気であるしかなく、そうでなければ、何も考える気も起こらず、暴力や邪悪な思いが吹き荒れます。

とんでもない時代になったと、俯いて生きております。
2/15 18:44

▼世話係
岡坊さんは
介護人の目を通して施設内の人たちを書いてきました。それが、こんどは、介護される人を主人公にしました。DVの果て、ついに精神を病み、夫を殺しました。だいたいは夫を悪者にしていますが、この小説のいいところは、ふたりが求め合って交接する場面があることです。つづく
2/15 17:41

▼世話係
外からか内からか
最近、そんな話を学校でしています。アフリカの国を訪れてその風俗や社会を報告する。それが外から。その国の少年を主人公にして描く。それが内から。つづく
2/15 17:36

▼とんぼ丸
わたしも
後半だけを取り上げれば、問題なく賛成です。(そういうわけで書いたのですから)

世話係さんが他に挙げられた例と比べてDVだけは被害者と加害者がおり、「愛ある暴力」は、その加害者を救い、被害者を当惑させるのではないかと思いました。
何の問題もないのに加害者にされては困るけれども、DVには加害者がいるにはいて、それが社会が生み出したものだとしても加害者の存在は「愛ある暴力」とすりかえてしまってはまずいのではないかと思ったときに頭の中で混線してしまいました。

それは、被害者がもはやDV問題を自分では処理できないほど大きくなってしまったと感じているケースがあると知っているからです。

本人が解決すればいいことをマスコミや当局が介入する必要はないですが、DVだけは、問題が異質の部分があって、書いてしまいました。
2/15 15:02

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