塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板
過去ログ631
2009/11/6 10:02
▼KOこじんまりもいいですね。昨日も楽しかったです。特に飲み会が。
当然、勉強にもなりました。
帰り道、駅に向かう途中で、また面白い女と出会ってしまいました。
寝坊してしまいましたが、今日は作業ができそうです。というより、やらねばならぬ。
11/6 10:02
▼世話係理想をいえば、信頼できる批評家(複数)を組織することです。かれらの意見は尊敬するのです。
たとえば、わたしにとって、山本さんは、そのひとりです。勝手に決めていました。
11/6 6:14
▼山本まあ、そういうことだ素人のままで気ままに書いているだけでは、読者がいないからな。
けど、読者がいればそこに評価が生まれる、素人の評価が。
それは捨て去ることは出来るだろうが。
わたしが勝手に書いたものだという捨て台詞をもって。
けれどねえ、しっかりと思えば、勝手に書きたい、誰かに見せたい、両者ともにあるのだよ。
そして、問題は、素人の文章を他者が評価できるかどうかなのだ。
あなたが言うようにつまらぬ遊びかもしれないが、そこにひとたちが生きている以上、組回というありようはそれは一つの解決なのだろうと思う、長年培った。
が、それでも疑問が残る。
プロの編集者は売れるかどうかではっきりと決着をつける(数少ない編集者は残すべき作品かどうかで決着をつける)。
だとすればだ。
素人の作品群を前にして、ほめる以外に継ぎ足せるものはわずかでしかないのではないのだろうか。
もしその書き手がプロになりたいのならば、その道への導きとしての批評はあるだろうが…。
そういうことを思っていると、世話係さんのありようの切なさも少しは見える。
けれども組回のあとの飲み会が、霧消させてくれるのだろうとも思います。
ところで、本当に聞くのだが、売れる売れないを別にしたときに作品に対する評価の基準はどこにあるのだろうか。
その基準は好悪の感情と決別したものなのだろうか?
単なる独り言として読み荒んでください。
11/5 17:38
▼おやつ番長多分被虐趣味素人のままで気ままに書いているだけでは嫌だから、わざわざいたぶられに学校に通うのです。多分。
でも今日も残業で欠席色濃厚。
飲みだけでも可能だったらお伺いします〜
11/5 16:00
▼世話係おっしゃる通り。素人のままで気ままに書いているに越したことはないが、それではまったく喰えないから困ってしまう。
11/5 14:05
▼山本吉田健一は、こう言うが…別に何も書くことはない。
併(しか)しこれは文士稼業の常態であって、書きたいことばかり書いていたら
すぐに種切れになってしまうし、
そういう習慣が現在の日本にはないから、
書いたことの半分も発表出来なくて、
それ故にこの方は何も書くことがないのも同然である。
又一方、こういうものを書いてくれという注文があって書くのは、
注文が来るまではどういうものを
書けばいいのか解らないから、
それを待つ間、頭を空っぽにして置く他ない。
つまり、別に何も書くことはないのである。
併しそれで何も書かずにいるという習慣も現在の日本にはないから、
差し当たり、日頃見たことや聞いたことに
多分にこっちの空想を付け加えて書いて行こうかと思う。
以上は『吉田健一随筆集』(垂水書房、1963年)、「見聞ところどころ」冒頭の一節。
これがプロだとしたら、素人のままで気ままに書いているに越したことはないが、それではまったく喰えないから困ってしまう。
11/5 13:34