塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ600 2009/10/10 12:57

▼世話係
ジョーク
なのでしょう。
わたしが、岩波や大江や太宰や斎藤お酒や文藝学校が嫌いだというのは。
10/10 12:57

▼わかやまけん
わが最初の文学の師
リービ英雄がこんなこと書いてます。
例外でもあり、アンチテーゼでもある憶良の、漢詩ではなく大和歌、多言語的な古代文学のデティールの一つひとつに、日本語で書くとは何かという現代に通じる問いが含まれているのである。(『英語でよむ万葉集』)
ちなみにこの本はセンセの嫌いな岩波の新書です。
10/10 11:46

▼わかやまけん
憶良蛇足
『差別語となにか』を読んでいる最中にありながら、ずいぶんと無神経なことを書いてしまいました。
憶良に共感するのは彼がいつも「蚊帳の外」からものを書いていたように思うからです。それは半島を経由した渡来人(漢詩漢文的教養に長けた人)だからということもあるけど、どうもそういう性根を抱えた人でもある気がします。
「純粋なニッポンジン」は、両親および自分の国籍、母語、外見、すべて日本だという意味ですが、私も憶良的な性根の人間でして、日本人および日本人の日本語世界の中にいると酸素が足りなくなってしまいます。憶良的なポジションでないと生きられない、ずっとそう感じています。
茂吉は『万葉秀歌』ですね。「憶良の歌には人間的な中味があって」ともありました。大正ヒューマニズムとうまく合致したのでしょうか憶良は。貧窮問答歌なんてのもありますし。
10/10 11:39

▼世話係
訂正
斎藤茂吉ですね。
10/10 11:01

▼世話係
いろいろ
憶良らは今は罷(まか)らむ子泣くらむそのかの母も吾(あ)を待つらむ

下記の意見は斉藤茂吉で、わたしではありません。
むかしは最後まで飲むメンバーに属していましたが、寄る年波にはかなわず、いつしか、ままならなくなりました。
10/10 10:56

▼世話係
この歌は多分筑前守時代の作で、太宰府に於ける宴会の時の歌であろう。
 一首の意味は、この憶良はもう退出しよう。
 憶良は万葉集の大家であるが、飛鳥(あすか)朝、藤原朝あたりの歌人のものに親しんで来た眼には、急に変ったものに接するように感ぜられる。即ち、一首の声調が如何にもごつごつしていて、一首の中に、三つも「らむ」を使って居りながら、訥々(とつとつ)としていて流動の響に乏しい。憶良の歌には人間的な中味があって、諧謔(かいぎゃく)微笑のうちにあらわるる実生活的直接性のある此歌だけを見てもその特色がよく分かるのである。この一首は憶良の短歌ではやはり傑作と謂うべきであろう。
10/10 10:53

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