塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板
過去ログ572
2009/9/20 22:37
▼KO20分過ぎると客観といいますか、冷静といいますか、なれますね。
今夜のNHKは楽しめました。
お彼岸に入ったというのに気丈な蚊が飛んできた。離れたところにあったキンチョールを取りに動くと当然行方をくらます。目蔵滅法に噴射した。
関ヶ原、わかっちゃいるけど、よかったです。小栗旬、段々とよさがわかってきました。石田光成の悲劇性によく合っていました。当たったか、当たらなかったか、わからない。気持ち悪い。
ONもおもしろかったです。まあ、20
9/20 22:37
▼世話係そうですねえ新川崎のあたり、その後、人間の手でひらべったくなったとしても、水がたまっていた気配がありますよね。かなり大きな沼地か池か、もちろん、川につながっていたでしょう。関東の変化はほんとうに激しい。太田道灌f500年まえなのに、夢見が崎に難攻な城を築いたのですから。
9/20 15:12
▼わかやまけん『北条百歳花の小田原』読んどりマス。
『弾左衛門』と『車』の間に、こんな戦国大ロマンを書いていたのですね、センセ!
花と伊勢宗瑞が、一巻の最初に、ちらりと交錯したまま何事もなく二巻に突入しとりマス。焦らしますな〜この作者は。
生田の森の城の所を読みながら思ったのですが、多摩川の流れってわずか5〜600年でこうも変化するんですね。ワタシの部屋から見える川崎の夢見ヶ崎も、「崎」というからにはおそらく(センセも『江戸東京を歩く』で書かれているように)、今の横須賀線の線路あたりを多摩川が流れていたのでしょう。
そこで、京都や近江あたりで育ったワタシはふと思うのですが、あのあたりは千年、二千年と、地形にそれほど変化がありませんよね。激変する関東平野の地形とは大違いだ。そういうことと、奈良や京から江戸、東京と中心地が移って後の「この国のカタチ」と、なんか関係あるような気がします。ハイ、気がしただけですが・・・
9/20 11:48
▼世話係おひさしぶり、keitouboxさん「水引草(みずひきそう)」(タデ科)です。水引のようにヒモ状にスッと伸びているから水引草というのだとずっと思っていましたが、今回調べてみたら花の上面が赤、下面が白と色分けされているところからきた名前だそうです。
花の名を教えていただいたので、上のような説明を見つけることができました。ありがとう。
江戸風は地味でしょう、書いた人間はそのように思っています。
9/20 5:56
▼keitoubox花の名前先生こんにちわ〜
今日のお花はミズヒキでしょうか。
今、禁じられた江戸風俗を読んでいます☆
9/20 5:32
▼KO同じものです。同じ1桁のレベルです。
やはり、本当の時、電話をしてしまうのはは息子です。
まだ、先生のご子息と違って頼りないですが。2人います。
20世紀なんとかですね。
不思議に寝ていたのが、目が覚めました。
9/19 23:42