塩見 鮮一郎公式 掲示板
過去ログ4776
2026/1/31 15:19
▼ヒロキ昔むかし秋田県のとある町に行きました。
町長選挙で勝つか負けるかで、役場の課長の配置が様変わりでした。
選挙とは、投票用紙での戦です。
金任せにテレビやYouTubeのCMに、血走った目のキツネが露出して、気色が悪い1週間です。
キツネの自己中解散で、まだ、投票用ハガキも届かない。
Up 1/31 15:19
▼世話人懐旧の文学史芳紀17が出てくると、
一気にノスタリジックになります。
今がないみたいに。
内田吐夢の飢餓海峡は、朝日がよいしょしたことも後押しになり大ヒットでした。
そのころ、ジジは若き編集者でした。
まじめに翻訳原稿をチェックしてると、
なぜか、しばしば水上勉がやってきました。なにかの企画があったのか。
そのころから、水上は純文学のほうへ向かいたかったのか、
と推測します。すこし緊張して、うつむき加減でした。
いまとは真逆で、当時は芥川賞の純文学と直木賞の大衆小説とは画然と分かれていました。
水上勉の内部にも、ゆれがあったはずです。
企画は実現したのでしょうか。
HP
▼滝川水上勉さんのこと芳紀17の頃、リバイバルのかかる映画館で『飢餓海峡』を観ました。原作のクレジット水上勉は、児童劇団に入るテストの面接官スイジョウさんだ、と気づきました。読み間違えていたのでした。
9つの私はドキドキして座ると、目の前にずんぐりむとくりの彫りの深い2枚目面接に質問されました。
「芝居ってどういうふうにしたらいいと思ってる?」
「夕焼けを見ていたら綺麗だと思って、それをお友達に伝えたい、というふうにです」と答えました。
「そうなんだよ!芝居ってそれなんだよ」と幼い私に目線を合わせておっしゃってくださいました。その方が水上勉さんでした。嬉しかったです。
特技を披露することとなり、カセットテープ持参でチャールストンを踊らせていただきました。水上氏は目を細め、すまして座っていた母親に「こんな娘さんがいたらお母さん楽しいでしょう」と話しかけられました。
とても印象深かったのは、母と水上氏、ふたりの目線が艶っぽく数秒絡め合っていたことです。
帰りに母は私に「スイジョウさん、かっこ良かったね」と言いました。
▼世話人なんと目薬ティシュの箱にもぐりこんでいました。
思考の幅をこえますね。
HP
▼世話人若狭おおい町の水上少年「こぼし」の記事をおぎなうため、
水上勉の少年時代ついてふれた一文をコピーしました。
「文盲の父母でしたけれどもいろんなことを教えてくれて、私が九歳半で、さっきもちょっとふれましたけれども、父が外へ大工へ行けないもんですから、村々でいろんな大工道具を使うてする修繕のこととか、いろんなことをして食べておりますが、そういうなかに棺桶をつくるという仕事がございました。一時父は葬具一式の看板をかかげていました。そういう生活を私は少年時代にじつくりと見まして、お寺さんへのご緑で京都の相国寺、先ほどいいました大拙承演、鬼大拙さんの道場のあった寺へ小僧に行くんでございます」
HP
▼世話人はい点鬼簿です。
一発で転換できました。
ありがとう。
ところで、もう定年しましたか。
HP