塩見 鮮一郎公式 掲示板
過去ログ4706
2025/8/10 7:07
▼長野のせんせ話の外南朝を正統として認めたのは北朝の末裔睦仁天皇です。ここに明治維新のまやかしがはっきりしています。
山本七平さんの『現人神の創作者たち』上下を再読します。
別件ですが昨日からフォトこぼしにつながりません。
▼世話人南朝支持者の彫像が、長崎のキリスト教徒の鐘に呼応し、
核廃絶と言えない首相がすわっている。
日本男児とかヤマト魂とほざいていた支配層。
無辜の民は無辜ではなかったが、知恵も足りなかった。
お母さんのために特攻機にのったが、かれの行為はお母さんを見捨てていた。
HP
▼世話人ちょっと気になる村上さん。
新聞で取り上げられていました。
写真も見ました。
HP
▼SYUPOすみません宿禰島に関して、いくつかのブログを見ました。
2つ前の記事に不正確な部分があったので、訂正します。
村上さんが宿禰島を去って住んだのは、郷里の向島でした。
それは1973年(昭和48年)のことであり、27年間島で暮らしたことになります。
三原市の職員の「説得」に応じた結果で、村上さんが74歳の時でした。
▼世話人宣伝むかしは、宣伝しなければ売れない商品は邪道にされました。
たとえば養命酒。
飲んだから長生きできたのか、
飲まなかったから米寿を迎えられたのか。
HP
▼SYUPO宿禰島6歳まで住んでいた家の、沖にありました。
仰るように、武内宿禰の墓とされる古墳や、先土器時代の石器が見つかっているそうです。
何より、新藤兼人の映画『裸の島』の舞台として知られています。
ただその頃、島には村上坂一郎さんという男性が一人で住んでいました。
聞いた話では、戦地からの復員後に人間不信となり、昭和21年から山羊・犬・猫と共に人を避け、サツマイモを栽培しながら生活していたそうです。
『裸の島』のロケ中は撮影隊から離れ、島の隅のほうで息をひそめるようにしていたとか……。
村上さんは何十年間も無人島生活をつづけた後、高齢となり体力に自信がなくなったため、因島に住む親戚のもとへ行かれたそうです。