塩見 鮮一郎公式 掲示板

過去ログ4664 2025/5/6 22:07

▼世話人
読書外伝D
すぐ思い出したのは、
学校ではない場所でした。
だんだん思い出し、
彼女が喫茶店と言い、わたしは催場の楽屋のような場所。
考えていると、同行してきたKくんについて、思い出すのです。
先日まではまったく忘れていて、忘れていることすら
忘れていた。
それが記憶のドアが叩かれたのでしょう。
ずるずると場面や言葉が出てきた。
つまり、わが脳が貯蔵していたことになります。

ということは、いまも、貯蔵していることがいっぱいあって、
老人はきがついていないことです。

HP

▼世話人
読書外伝C
あと、考えたのは「記憶」についてです。
早乙女=滝川からメッセージをいただいたとき、
横浜文学学校について、はっというふうに思い出しました。
この時期、学校の何回目かの興隆期で、
埼玉(浦和)・千葉(千葉市)にも枝校を開催。
会社を辞めて暇なわたしは、どこにも行きました。

そのことをまったく忘れていました。
思い出すこともなかった。
『言語と差別』や『ハルハ河幻想』のころです。

でもメッセージをいただいて、即座に、
横浜スタジアムちかく、ビル内の教室を思い出した。
早乙女=滝川さんは、1枚の静止画でした。

HP

▼滝川
子供の日
心の細胞の動きが豊かな才人との時間は楽しい。
お金にばかり興味ある人とはどうもね。
自分が持ってるブランド品自慢する人は恥ずかしい。

駄菓子屋の5円の指輪を身につけ、あら、すごい!エメラルドでしょ?と言われることを愉しむ人を知っている。私の母だ。細胞の可視化とはそのことだ。それを表現と呼ぶのではないだろうか。

撮影現場で、老優が子供と動物には勝てない、と言っていたことを思い出す。
https://i.imgur.com/zq2OM1x.jpeg Up 5/6 3:28


▼世話人
読書外伝B
1978バーバー死(心不全)
1980鍋島死(蜘蛛膜下)
1983作者と私が会う。

ふたりの父の死後、数年のころに、
芳紀17歳の少女とわたしは横浜文学学校で会った。
そして作品を読んだ。
45歳のわたしは驚き、絶賛します。

1995年に賞をもらう12年前、すでに出来ていたということです。

42年後、作者=少女が写真付きでこのぶログに出現し、
わたしは単行本で読み、少女の感性のみずみずしさが
封印されているのを知り、よろこんだ。

HP

▼世話人
いろいろ覚醒
1980年後半はゴールデン街を徘徊。すこっつ、

と、あります。すこっつ。
わたしは小田原に越していました。

HP

▼ヒロキ
エシャレット
推理作家の店かな、
いや、2階ですね。

私は、10ccの常連でしたが! Up 5/4 18:54


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