塩見 鮮一郎公式 掲示板

過去ログ4645 2025/4/5 1:01

▼世話人
大河のうそ
仲之町が毎回出てくるが、
あんなにスマートな道ではない。
ほんとは、いつもぬかるんでいた。
高下駄か裸足だ。
浮世絵に描いてないからわからん。
かも知れませんが、
客と遊女がつかう水は半端ではない。
風呂の湯はどこからくるか。

お歯黒どぶはあっても、お歯黒にしない。

遊女の死体を夜な夜な運びだしているのはだれか。
非人が担ぎ出してるとは言えない。
なぜ言えないのですか。

HP

▼世話人
大河のうそ
仲の町が毎回出てくるが、
あんなにスマートの道ではない。
ほんとは、いつもぬかるんでいた。
浮世絵に描いてないからわからん。
かも知れませんが、
客と遊女がつかう水は半端ではない。
風呂の湯はどこからくるか。
遊女の死体を夜な夜な運びだしているのはだれか。
非人が担ぎ出してるとは言えない。
なぜ言えないのですか。

HP

▼久保田
「最後の夜が終わったら」の件 F
表現するとはいったい何か、
もっと考え、探していきたいと思っています。
ここから始めるつもりでいますので、もし可能でしたら、
今後とも、ご意見をいただけたらありがたく思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

※連続投稿、失礼いたしました。


▼久保田
「最後の夜が終わったら」の件 E
ただ、今考えると、この作品の最大の欠点は
もっと根源的なところにあるように思います。
自分自身との「格闘」が中途半端なのです。
この作品を書いていた頃の自分は、
恥ずかしながら、長いモラトリアムの中にありました。
その後、某監督という「他者」に初めて出会うことによって、
自分の甘さにようやく気付いたわけです。
私小説とは、自分自身が何者であるかを見出す
『運動』のように思います。
その意味では、この作品は、小説未満であったかもしれません。


▼久保田
「最後の夜が終わったら」の件 D
文体につきましては、まさに塩見先生が見抜かれた通りです。
主人公の感情の流れを途切れさせたくなく、
日本語としては破綻しているとしても、
感情に沿った言葉を句点を排して並べました。
ただ、それだけでは独りよがりになってしまうため、
流れるような文章を目指し、
敬愛する野坂昭如さん風の都々逸調を取り入れました。
この文体については、トーク小屋の講評では、
良いとする人、悪いとする人、半ばでした。
あからさまに野坂さんの模倣となっているところは、
反省すべきだと思っています。


▼久保田
「最後の夜が終わったら」の件 C
横浜で遊覧船に乗り遅れ、
かつて大みそかに訪れた店を探すところまでは、ほぼ現実通り。
その後の展開はフィクションですが、
主人公は見知らぬ男を「お兄ちゃん」に見立て、
「ばかばかしい人生よりばかばかしいひと時が嬉しい」
という歌詞を全うしようとする、
という表現にしたかったのですが、
トーク小屋の皆さんに読んでいただいた結果、
本当にかつての「お兄ちゃん」が現れた、
或いは、少なくとも主人公は、
彼を本物の「お兄ちゃん」だと思っている、
という風にしか読めない、と指摘され、
それは大きな瑕疵だったな、と気づかされました。


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