塩見 鮮一郎公式 掲示板

過去ログ4643 2025/4/3 3:42

▼滝川
自惚れという放熱の行方
こんばんは

はるか42年前に、先生にみていただいた作品は二作でした。不倫モノと、バーバーの死。
不倫モノの方も実を結び、つい最近エロスジャンルで映画化されました。俗世と調和したのでした。
塩見先生に「才能があるね」とマジックをかけていただいたことと、自分の愛が一途だったたことで“初恋”は結実したのだと確信しております。

全ては愚かな自惚れ芸の成せる技。
内面世界が具現化できるなどとは、常識ある育ちなら、そのような妄想は抱けないでしょう。カタギではない。
親なし、学歴なし、戸籍なしのナイナイ尽くしで闇堕ちしていた不良娘に、当時44歳の足長おじさま(はたまた香具師の元締か…?ご利益品の口上だったとしても笑)救いの手を差し伸べてくださり感謝の気持ちでいっぱいでございます。 Up 4/3 3:42


▼世話人
なにか人生酒場
すこし酩酊しました。
42年ぶりでした。
そして、しっかりと記憶はよみがえりました。
小説より人生は奇なり。
話は通じました。

HP

▼滝川
昼下がりの喫茶店
こんにちは。
塩見先生のおっしゃる通りかもしれません。横浜で塩見先生が教鞭をとられていて、自分が受講しているシーンの記憶がないです。
男性が仲介してくれて、喫茶店の場でお会いしたかもしれません。

ますますのご健筆をお祈りいたします。大変嬉しかったです。ありがとうございました。 Up 4/2 13:23


▼世話人
Mt.Fuji
エセですが。
なに、フジのこと。
アレは大仏のあとで、聖武天皇が、造ったのですよ。
知らなかったなあ。

それにしても、集まった記者も、
「枕芸者」を否定的メタファーとして
平気で使うのですね。

喫茶店ですか。
わたしの思い出しているのは、どうも東京へあなた方がきて、なぜか三人で話してる光景です。
夜の学校を卒業したあとかも。

HP

▼滝川
小津安二郎風に申すならば…。
『しょせん物書きは、橋の下で菰をかぶり、客を引く女郎だよ。』

そんな風にクダをまく生徒さんばかりで実に居心地が良かった!夜通し酒を飲みながら部屋で寝っ転がってクダをまく大人たちの中で、自分の孤独と罪が癒された時間でした。
橋の上からモノを言う人がいなかったからですね。


▼滝川
夜の文学学校
横浜スタジアムの近くの一室でした。

受講者さんの中には、電電公社、国鉄、区役所職員など。みなさんに、養老乃瀧によく連れて行っていただきました。高校生だったけど(苦笑)。やがて、誰かの家に大挙して泊まったり。自分は家に帰らず不良でしたね。

光栄にも、塩見先生と喫茶店に行ってお話できたのは、その中のオッさん生徒?のツテだったかどうかは記憶にないですが。

今思うと、モラトリアム、不良の溜まり場だったかもしれないです(笑) 闇堕ち高校生の自分からすると、実に居心地よい場所でした。色っぽく表現するなら“耽美的”。

k先生がガンで亡くなられたとき、自分は会社員でした。ですので文学学校には、足かけ4年間くらい通ったのでした。 Up 4/2 10:51


46444642

掲示板に戻る