塩見 鮮一郎公式 掲示板
過去ログ4641
2025/4/2 12:02
▼世話人Mt.Fujiエセですが。
なに、フジのこと。
アレは大仏のあとで、聖武天皇が、造ったのですよ。
知らなかったなあ。
それにしても、集まった記者も、
「枕芸者」を否定的メタファーとして
平気で使うのですね。
喫茶店ですか。
わたしの思い出しているのは、どうも東京へあなた方がきて、なぜか三人で話してる光景です。
夜の学校を卒業したあとかも。
HP
▼滝川小津安二郎風に申すならば…。『しょせん物書きは、橋の下で菰をかぶり、客を引く女郎だよ。』
そんな風にクダをまく生徒さんばかりで実に居心地が良かった!夜通し酒を飲みながら部屋で寝っ転がってクダをまく大人たちの中で、自分の孤独と罪が癒された時間でした。
橋の上からモノを言う人がいなかったからですね。
▼滝川夜の文学学校横浜スタジアムの近くの一室でした。
受講者さんの中には、電電公社、国鉄、区役所職員など。みなさんに、養老乃瀧によく連れて行っていただきました。高校生だったけど(苦笑)。やがて、誰かの家に大挙して泊まったり。自分は家に帰らず不良でしたね。
光栄にも、塩見先生と喫茶店に行ってお話できたのは、その中のオッさん生徒?のツテだったかどうかは記憶にないですが。
今思うと、モラトリアム、不良の溜まり場だったかもしれないです(笑) 闇堕ち高校生の自分からすると、実に居心地よい場所でした。色っぽく表現するなら“耽美的”。
k先生がガンで亡くなられたとき、自分は会社員でした。ですので文学学校には、足かけ4年間くらい通ったのでした。
Up 4/2 10:51
▼世話人おもしろいですね時間の経過ととともに
すこしずつ思い出します。
余命ジョーク、すみませんでした。
男の人は、高校生から見ればおっさんかも。
わたしがあなたに話しかけようとすると、
じゃまするのです。
上の名前を思い出しそう。
何十年もむかしの午後のひとときが記憶されてたのです。
バーバーの死、集英社ですね。
読むと、また思い出します。
HP
▼滝川「バーバーの肖像」の原点おはようございます。
「余命30日」は塩見先生のシニカルジョークと受け止めます。
高校生の頃は、あまりにも辛いことが押し寄せて自死行為寸前でした。自分を傷つけることばかりをしておりました。小説で昇華するか自滅するかのどちらかかと。
そんなとき、横浜文学学校で塩見先生が、17歳でデビューということに食指を動かしてくださいました。作文の内容は、養父の死についてで、タイトルは「バーバーの死」でした。
「うまいね、才能があるね」。
プロの作家さんから、初めてそう言われて、そりゃあ、もう天にも昇る気持ちになりました。正直、自惚れました。その自惚れが愚かにも現在まで続いております。あの時から、おおいなる助走、または、おおいなる“妄想”が抱けたと今では思っております。
妄想とはまるで初恋のように怖いものです
ね(笑) 初恋とは財産です。肉体が介在していないから永遠かと。
お会いして上書き保存するより、妄想を楽しんで、このまま果てるのもまた吉かもしれないわ。
若い男の人…?あの頃も今も、ファザーコンプレックスで若いひとは興味がなかったです。
Up 4/2 7:34
▼世話人こんばんは杏奴さん、
あるシーンが脳髄に灯りました。
高校生のあなたと、若い男の人とが、いました。
でも、遠いな、遠すぎて自信がない。
HP