塩見 鮮一郎公式 掲示板

過去ログ4640 2025/4/2 7:32

▼滝川
「バーバーの肖像」の原点
「余命30日」は塩見先生のシニカルジョークと受け止めます。

高校生の頃は、あまりにも辛いことが押し寄せて自死行為寸前でした。自分を傷つけることばかりをしておりました。小説で昇華するか自滅するかのどちらかかと。

そんなとき、横浜文学学校で塩見先生が、17歳でデビューということに食指を動かしてくださいました。作文の内容は、養父の死についてで、タイトルは「バーバーの死」でした。
「うまいね、才能がある」。
プロの作家さんから、初めてそう言われて、そりゃあ、もう天にも昇る気持ちになりました。正直、自惚れました。その自惚れが愚かにも現在まで続いております。あの時から、おおいなる助走、または、おおいなる“妄想”が抱けたと今では思っております。
妄想とはまるで初恋のように怖いものです
ね(笑) 初恋とは財産です。肉体が介在していないから永遠です。

お会いして上書き保存するより、妄想を楽しんで、このまま果てるのもまた吉かもしれないわ。

若い人…?あの頃も今も、ファザーコンプレックスで若いひとは興味なかったです。 Up 4/2 7:32


▼世話人
こんばんは
杏奴さん、
あるシーンが脳髄に灯りました。
高校生のあなたと、若い男の人とが、いました。
でも、遠いな、遠すぎて自信がない。

HP

▼世話人
こんばんは
滝川杏奴さん。
ご活躍、とてもうれしいです。
われの死に土産にします。
高校生でしたか。
余命30日になり、忙しくしています。
もっと早く会えればよかったです。

HP

▼滝川
ありがとうございます!
塩見先生

お返事いただけて感激です。
ありがとうございます!

塩見先生のおかげで、あの短い作文は、改稿して、とある文学新人賞をいただきました。その後、紆余曲折ありながらもいくつか作品を書いてこんにちに至ります。

塩見先生は、横浜の喫茶店で高校生のわたしに「才能あるね」とおっしゃって下さいました。本当に光栄でした。その言葉がどんなにか、心の奥底をいつも照らしてくださいましたことか。

直接お会いしてお礼を申し上げたいです! Up 4/1 19:52


▼世話人
横浜ですか。
スタジアムの近くでした。
ウィキの地図で探しましたが、わからないです。
3,40年も前ですか。
本になりましたか。
おめでとうございます。

HP

▼滝川
かつて文学学校でお世話になりました。
塩見先生
シモキタ地下室という場所のイベントで「文藝トーク小屋」という企画を拝見いたしました。勉強会のルーツは塩見鮮一郎先生より、との情報を見て懐かしく、書き込みさせていただきます。
横浜で、先生に見ていただいた作文(エッセイ)は、のちに出版することができました。先生に評価していただけたことが、大変なモチベーションと勇気になったことと、いま、生きていられることへの感謝をお伝えしたい気持ちです。 Up 4/1 15:48


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