塩見 鮮一郎公式 掲示板

過去ログ4622 2025/2/21 14:24

▼世話人
読書E筋a
むかしの雑誌連載の小説には、「あらすじ」が冒頭に付いていたりした。
ボルヘスはへそ曲がりだ。「あらすじ」だけで完結する小説を夢見た。
久保田雅美の作品は「あらすじ」よりは、その語り口のうまさにある。スマートのようで、結構ねばっている。
それでも、筋は小説の心棒だ。すこしだけ。

博多の実家のスナックに現れる「流し」の兄さん。12歳の少女は「彼」の歌う「時には娼婦のように」に心をうばわれる。春に来て秋には姿を消す「流し」。父親に流しになりたいと言い、なぐりつけられた。

冒頭の一行は「あの人の名はなんだった?」
「流し」はその後の主人公の生き方をつらぬく深底音。
10枚ぐらいのエピローグでたくさんの情報が提示され、
それらは伏線でもある。
(つづく)

HP

▼世話人
読書E筋a
むかしの雑誌連載の小説には、「あらすじ」が冒頭に付いていたりした。
ボルヘスはへそ曲がりだ。「あらすじ」たけで完結する小説を夢見た。
久保田雅美の作品はあらすじよりは、その語り口のうまさにある。スマートのようで、結構ねばっている。
それでも、筋は小説の心棒だ。すこしだけ。

タイトルのない「プロローグ」で、博多の東、実家のスナックに現れる「流し」の兄さん。12歳の少女は「彼」の歌う「時には娼婦のように」に心をうばわれる。春に来て夏の終わりに来る「流し」。父親に流しになりたいと言い、なぐりつけた。

冒頭の一行は「あの人の名はなんだった?」
「流し」はその後の主人公の生き方をつらぬく深低音。
10枚ぐらいのエピローグでたくさんの情報が提示され、
それらは伏線でもある。
このようにまとめると、データの集積のように思われるが、
すべてが

HP

▼SYUPO
自由奔放に
振る舞う監督や、DVの父親が登場したり、ベッドシーンが描かれたりしますが、主人公の心性はそれこそ「真面目」だと思います。
文章も長回しのカメラのように、丁寧に、几帳面に、粘り強く表現されています。
一方で、その真面目さを救っているのが、「俗」な感じの「七五調」ではないでしょうか。句点の少ない中にあって、文章に軽快なリズムを与えていますから、とても心地良かったです。


▼世話人
クソ真面目は辛いよな
久保田雅美『最後の夜が終わったら』をやってたら、
だれもここに挨拶をくださらない。
遠慮なく、書いて。
彼女も気にしないでしょう。

HP

▼世話人
読書D文体c
「この世はもうじきおしまいだ、(略)聞き覚えのあるメロディーがふと耳に飛びこんできた、数寄屋橋の交差点前、大量の人が車が行き交わって、喧騒は延々続き、大スクリーンに流れている、マリリンモンローノーリターン、野坂昭如が歌っている、彼が死んだのだ」
見出しは、「十二月十日、火曜日」

フィクションと事件とがうまく組み合わされる。
すこしだけ、野坂へのオマージュだったのか。
ながい闘病生活の末、85歳で死んだ。
2015年12月9日。
久保田雅美の小説の、年末の2ヶ月は、2015年だった。
うまく野坂の死と重なった、偶然にか。

話を文体論にもどせば、そんなものはどうでもいい。
編集者の頭にある文体は、国語。文科省の官僚作成のお手本。
戦後しばらくは正字旧仮名で書く反骨気取りの作家がいたが、
いまや漢字と仮名のバランスとか、彼と書くかカレと書くか、一冊の本で、表記を統一する。送り仮名をどこからつけるか。「国語」を守る。新聞社のためか。だれのために守る。
野坂はよくわかっていて、それで傾いだ文で戦災孤児を描いたか。

HP

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