HP ▼SYUPO モラエス随想 日々の暮らしに追われるなか、ハッと立ち止まらせるような文章でした。 モラエスは中国で、辛い境遇に置かれた貧民や病者、そして海や川で暮らす「蛋民」と呼ばれた人々に対して、暖かい眼差しを向けていたのでしょうか。 また徳島では、鳴門との間を結ぶ撫養川の運河などと、中国で見た風景を重ね合わせていたのでしょうか。
▼世話人 注・ 2、3人と読むのが 妥当でしょう。
HP ▼世話人 モラエスの随想 「あれは癩者だと村民が指摘すると、恰も狂犬病のやうに逐つ払ふ。かくて、癩者は常に背後から追ひたてられ村落から村落へと逃げて往き、洪水の汚物のやうに、ひとりでに河へ流し込まれることとなる。そのとき、大きい避難所、天然の静穏な平和――彼を護ってくれる、容易に手に入る23枚の板子と水――が眼前に展開する。だから、支那の癩者はたいてい漁人である、といふよりも運河と河川との悲しい流浪人である。支那の風光の単調な水彩画――水路が果てしなくうねつてゐる稲田、バナナの樹の羅列、竹藪で縁取した茂み、それに沿うて重なりあった禿山と、その上の模糊とした灰色の空――には23人の癩者の隠遁所で収容所である23艘の悲惨な小舟があたりに浮遊してゐないところはどんな小さな村にもない。
HP ▼世話人 五輪 批評がないから、 誹謗の書き込みが氾濫するともいえます。 きゃーきゃー騒ぐメディアとコメンテーターも 誹謗氾濫の責任を負う。 表裏一体。
走り競争は婚活でした。 レディーが男の品定め。 スッピンで走ります。
HP ▼SYUPO 五輪 前回、コロナ禍のもとで開催を強行し、汚職まみれの大会となったことへの反省はないのでしょうか。 ウクライナやガザで戦争が行われ、その中で「平和の祭典」を訴えても、まったく心に響きません。 商業主義を糊塗するための絵空事のスローガンには、呆れかえるばかりです。 国歌を歌い、国別にメダル数を競い合うスポーツなどは止して、詩を朗読するとか、囲碁と将棋とチェスをコラボさせるとか、アイスクリームを舐めるとか、バナナの皮ですべるとか、もっと人畜無害なイベントを行ってはどうでしょうか(採点や記録など、甲乙つけるものは除外)。