塩見 鮮一郎公式 掲示板

過去ログ4345 2023/3/30 2:51

▼世話人
前にも書いたことだけど
わたしが初めて、「先生)のに化けたのは、
1970年代のはじめ。
note に記しましたが、勉強したい若者が押しかけてきました。
中核か革マルか知りませんが、
まぎれこんでアジっていました。

それから半世紀。
なんだったのでしょうね。
一回限りの参加者も数えるとむ、2500人ぐらいですか。
人を数字に換算する行為は、日常に化していますが、
失礼ですね。

大学の先生になったわが同志たち。
生徒におのれの挫折を語りましたか。
裕福なイエの出身者でしょう。
有名大学の学生。
おのれの居場所を嫌悪して反旗をひるがえす青年は、
100年にひとりでしょう。

HP

▼世話人
くりかえし
わたしが初めて接したのは
1970年代のはじめ。
note に記しましたが、勉強したい若者が押しかけました。
中核か革マルか知りませんが、
まぎれこんで来てアジってました。
それから半世紀。
なんなんでしょうね。
大学の先生になったわが同志。

HP

▼恵比寿庭場
塩見組、セピアの花弁
先生の元弟子(講座構成員)として、集合写真を懐かしく拝見しました。
とはいっても先生の他に存じ上げているのは原田さんだけですね。
もうちょっと若手が入ってきて、昔の新日プロみたいな世代闘争になると面白そうです(元々が「新日本」文学会ですからね)。

杉本さんはもういらっしゃらないのでしょうか。昔は先生の右腕を自任してあんなに張り切っていたのに。
若手なら星川さんが立派な人物でした。あるときKさんとHさんが言い合ってつかみ合い寸前になったとき、僕は「面白いぞ、もっとやれ」と思って見ていたんですが、星川さんが間に入って喧嘩を止めたのを覚えています。ドツキ合いしたいならさせてあげればよかったのに。


▼世話人
1002
先週
628

y=1.9x

登ると決めたカレラを、
人はどうすることもできぬ。

HP

▼世話人
訂正
与那覇さんです。
失礼な誤記でした。

HP

▼世話人
雑話
短く語れないことを数行ですまします。
無謀。
大事な話なのに。

花見の席で、『相思樹の歌』の作者から、
わたしの沖縄との関わりについて尋ねられた。

与縄幹夫(よなはみきお)という、
数年前に亡くなった詩人について話した。
沖縄以外の土地のヒトには知られてない。
それでいいのだ。

わたしは、かれをないがしろに扱ったが後悔してない。
かれはかれの残した詩の力だけで生きのびる。
賞をあたえた獏氏よりもいい。

かれが40年前に、わたしを那覇に招いてくれたのです。
西園さん、ほんとにいい詩ですよ。
みてください、いちどは。

HP

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