塩見 鮮一郎公式 掲示板
過去ログ4287
2022/12/30 1:10
▼世話人 だじゃれ 月が吠える犬を照らす夜
12/30 1:10 HP
▼世話人 会話のJoy 宣伝臭がしたら、ごめんなさい。
ブログの「こぼし」12月29日「内輪話」のコメントについてです。
ここにmyさんというお方が投稿されています。
たぶん、わたしよりは若い方です。
(わたしより年上の方は、数人いるだけでしょう)。
『車善七』全3巻の批評です。
あの長編を読了し、それほど気張らない素直な文章で書かれています。感謝します。刊行20数年後のレスポンスは信じられない楽しさです。
note の武家屋敷の話に関してのわかけんさんの随想もよかった。
パソコンやメール、計算機から通信機への進歩は、
ときに悪魔のささやきで対象者を死に追いやることもありますが、
もはや歩けないジジに、対話するよろこびもまた、
もたらしてくれます。
これが昭和前半だと、60ワットのくらい電灯のもと、
一合の酒と、岩波文庫一冊をひろげて、冬の長い夜半をすごすのです。
咳してもひとりでしたっけ。
12/30 1:03 HP
▼世話人 18372 先週
18820
y=0.97x
微減ですが。
12/29 16:57 HP
▼わかけん しかし武家屋敷は、 『焼けるまではどの家も門を閉ざし、奉仕する家人(けにん)は脇門か裏門を使用しました。維新から七十七年が経過しても、ほとんどの屋敷が幕末のままなのは、あいつぐ対外戦争で国内は疲弊していたのです。禄(ろく)をうしなった士分(しぶん)の者の子孫が、家屋を改築する余裕などなかったのです。』とあります。そして終戦から七十七年。またも国内は疲弊し、貧困にあえぐ人々を量産しています。
12/29 14:15
▼わかけん 戦前の岡山市 旧遊郭の中島のバーで無粋なママに辟易したのは戦後ですか。焼ける前の街の記憶は興味深かったです。下級武士の長屋。狭い路地のラビリンス。子どもには格好の遊び場ですね。
長屋の構造が、神戸で倒壊した姉の家と同じで、どこにでもあった戦前の建物だったことがわかります。戦争で焼けず、95年まで人が住んでいました。姉夫婦も。
土間も健在で、かまどがガス台になり、タイルで囲んだ洗い場が出来ていましたが、姉は外用のサンダル履きで調理していました。土間は裏手に続き、奥に厠、狭い二階へ上がる階段もあった。何度か遊びに行った懐かしいボロ屋を思い出しました。
12/29 14:12
▼世話人 老人の師走 老人になるつもりはなかったのですが、
いま老人。
意外と片付ける仕事がない。
そういえば、ここ数年、身辺整理をつづけてきた。
それで捨てるものは、あいつを除いてなにもない。
雑巾、いまふうにダスターで、机、いまふうにデスクというものの上を拭いた。
それで終わり。
輝かしい新年を待つだけ。
再生です。
12/29 1:05 HP