塩見 鮮一郎公式 掲示板
過去ログ4278
2022/12/20 7:29
▼祐佳江崎島では「えさき」と呼びます。が、公式では「えざき」と濁ります。
地名辞典で調べると江戸時代は「ゑさき」でした。えさきと呼ぶのはこの頃の名残ですね。
阪神淡路大震災で大きな断層がある野島の江崎で、大きな被害にあいました。
江戸時代には山から木を伐りだした薪を明石に積み出して商いを生業とし、農民自らの行商が許されていたそうです。
先生のおかげでいろいろ調べるきっかけができます。
▼SYUPO当代、借りぐらしいえ、江崎灯台「退息所」のエピソード、勉強になりました。
▼世話人またまた訂正江崎灯台について、年表につぎのようにありました。
1996年(平成8年)、旧退息所(灯台職員宿舎)が「四国村(四国民家博物館)」に移築復元される。
2000年(平成12年)、旧退息所が国の登録有形文化財となる。
HP
▼世話人あわてて訂正前文、まったくまちがっていました。
削除しようかと一瞬、思いましたが、
そのままにして、ここにわかったことを書きます。
「江崎灯台退息所」の「退息所」というのは、
灯台関係の職員の宿舎のことらしい。
宿舎だけを屋島に移したということだ。
早とちりで変なこと書いてしまいました。
訂正してゴメンします。
「江崎灯台退息所」については、「江崎灯台」のブログに
記載されていなかっただけで、ほかのところには、
きちんと説明がありました。
HP
▼世話人灯台もとクラシー淡路の江崎(えさき)灯台については、
ブログのポンチ絵でふれた。
まだ連載中で、徳島市の眉山(びざん)でのスライムとの戦いです。
つぎの場面は、香川県の屋島を描きたい。
廃線になったケーブルカーには特別の思いがあり、
ストリートビューで訪ねた。
こんどまた同所へ行き、ぶらついていると、
「江崎灯台退息所」というのができていて、
神戸淡路地震でこわれたのを、ここで引き取ったらしい。
だから、退息所(たいそくしょ)なのだ。隠居です。
このこと、ジジの瞥見したところでは、どこにも書いてない。
それで、ここで。
HP
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