掲示板
過去ログ424
2009/2/14 23:47
▼世話係ポトスライム大人気のサトイモ科の観葉植物です。ポトス(オウゴンカズラ)の色違いの品種で、とても明るい植物なので、人気がある植物のひとつです。みずやりは土の表面が乾いたら、たっぷりやります。葉っぱの裏側に霧吹きなどをして、虫の予防をするのも上手な管理のしかたです。寒さにはよわいので、要注意です。(
2/14 23:47
▼世話係淡々と事が進めばいいのだが、どうですか。
淡々と進めるのには、それなりのエネルギーが必要ですよね。
2/14 23:41
▼KO226偶然か、今日、2.26事件の現場の写真を綴った見知らぬ人のホームページを眺めていた。山王ホテルと何とかという旅館か、料亭の写真もあった。たぶんそこは、小学校2年か3年の時、親父に連れられて嫌々丸の内線で通わされた赤坂、日枝神社のすぐ脇だ。ボーイスカート164団だ。赤坂見附から歩いてすぐだった。溜池山王駅なんてまだなかった。大学に入って、ませた振りした同級生から盛んに薦められ、嫌々読んだ、だが結果としてとても面白かった庄司薫の作品の舞台でもある。大山もそうだが、赤坂見付、日枝神社、日比谷高校、キャバレーミカドのネオン看板、TBS、山脇女子学園、甘美! といって、色恋はなかったが、私にとっては本当にそういう記憶なのだ。ほろ酔いの気持ちよさと、本心から、送信してしまって、翌日後悔する。
2/13 21:45
▼世話係学校19日はわたしのタベリです。テキストの『古井戸の骸骨』の批評を志村有弘さんが発売中の「図書新聞」に書いてくださっています。参考になるかも。
2/13 18:29
▼世話係おもしろいねこういう聞きとりは。
2/13 0:19
▼KO千川上水いつ暗渠したのか、両親に電話したが、明確な回答が得られずいらいらしたので、おじちゃんに電話をし直した。私の記憶では、上水の上流、板高や千川小学校の先には部落があった。見たことも、真近かまで行ったこともなかったが、はっきりとそう記憶している。今の興奮した電話では間違いなくそこにバタヤ部落あったという。渋沢栄一が男爵を取れた理由も、話に出てきた。文化会館の土地の前の姿の話もちゃんと出てきた。中にいた人は白い服を着せられていて、時々脱走したそうだ。岩根の橋、今の大和町には部落と金賃宿(酔っていたのでよく聞き取れなかったがあった)があって、そこは旧中山道の宿場町だったそうだ。四つ又というところも出てきた。にわか知識の非人や乞胸の話をむけてみたら、虚無僧の話とか出てきたが、極めつけは、「非人頭っていうのは、偉いんだよ。」だった。「どうして知っているの?」と聞くと、いろいろ聞いた結果、講談本に書いてあったという。さらに私が自らが毒された戦後文学の話をすると、「太陽の季節」なって読んだこともない、と一蹴された。そして、村上波六(酔っていたので正確ではない)は面白いぞ、と言われた。もうないだろう、というから、神保町のある店にはびっしりとそうした講談本があったよ、と答えた。生家の前が暗渠されたのは昭和22年から36年の間のようだ。今回はこれを確定するまで話がいかなかった。一時間以上話した。吐き出さないと眠れそうもないので、失礼だが書かせていただいた。
2/12 22:55