塩見 鮮一郎公式 掲示板

過去ログ4128 2022/4/23 6:26

▼長野のせんせ
前の訂正
五行目でした。もう一つ 
七行目 向いでしかないことに→向いているのである。


▼長野のせんせ
語句の訂正
続のつづき の四行目 日知すら→ひたすら  です。


▼長野のせんせ
続のつづき
勝算なしに戦争を始めた。
敗戦が続いたら、和平を考えるべきなのに僥倖を恃んで特攻や玉砕で、いたずらに若者を死なせてしまう。
終戦を迎えたあとは、敗戦の責任を、地方(現場)に押しつけた。
戦後は、現在まで戦争はなかったが原発事故があった。
その時も,虚偽の報告を重ね、責任を取ろうとせず、日知すら組織を守ることに汲々としていた。
これではとても、現代戦を戦うのは無理だろう。
良くいえば日本人は平和に向いでしかないことに と・

西村さんの一語一語は肝に銘ずべきでしょう。現在の世界情勢に便乗して軍事費の増額を狙う勢力(自公維新国民民主、連合)
の合唱は体制翼賛の再現でしかないことに思いを致さなければと思案しています。


▼長野のせんせ
続 怖い話
西村京太郎さんは日本人が戦争(現代戦)に向いていない理由を列記しています。
@国内戦と国際戦の違いがわからない。
➁現代戦では、死ぬことより、生きることが重要なのに、日本  
 人は、死に酔ってしまう。
B戦争は、始めたら一刻も早く止めるべきなのに、日本人はだ  
 らだら続けていく。
C日本人は、権力に弱く、戦争を叫ぶ権力者の声に従ってしま 
 う。
➄頭の中で反対でも、沈黙を守り、賛成しなかったからいいと  
 自分を納得させてしまう。
E日本人の場合、社会の前に世間があってその世間に屈して、 
 社会的行動をとれない。
F日本人が、一番恐れるのは、「臆病者」とか「卑怯者」といわれることである。だから「臆病者」「卑怯者」といわれるのを恐れて、賛成した。





▼長野のせんせ
一寸怖い話
先ごろ亡くなった西村京太郎さん(1930年生れ)は著書『十五歳の戦争 陸軍幼年学校「最後の生徒」』の中で国民党政府のナンバーツー汪兆銘を南京政府の長にし、終戦の直前病死し、中国では裏切り者とされている。その汪兆銘が残した言葉といわれる「現在の世界状況から見て、どの国が勝者になるかわからない。そこで私は、日本と手を結ぶことにした。蒋介石はアメリカと、毛沢東はソビエト(ロシア)とだ。これで、日本、アメリカ、ソビエトの何処が勝っても中国は安泰である」この言葉が本当なら汪兆銘が日本に利用され死んでからも国賊扱いされかわいそうだと言えなくなってくる。やはり中国人はしたたがである。と書いています。今の日本国はアメリカ一辺倒先が案じられます。


▼世話係
100年前
歓呼の声でむかえられた共産主義。
資本家の搾取とツアーの圧政に抵抗した思想が、
いまや独裁と侵略のクソと化した。
その不思議。
思想やイデオロギーや宗教、
そして科学も数学も、持続しない。

持続可能のローマンス。

HP

41294127

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