塩見 鮮一郎公式 掲示板
過去ログ4049
2022/1/12 0:32
▼世話係師の恩@思い出してしまいました。
1、2年生の担任は、佐藤先生でした。
30代の女先生でした。結婚していて、ジジより数歳おさない子かいます。
父が戦死していたので、わたしには、とてもやさしかったです。
放課後、教室に残されて、慰問袋にいれる絵を描かされました。もうひとり女子生徒もいましたが、
彼女も父親を失っていたのでしょう。
ジジは軍艦と戦闘機の絵をクレヨンで画用紙にかきました。
赤い円形を旗にしるし、翼にも書いた。
戦後、先生はどんなふうに生きたのでしょう。
夫は、ええ、戦死したのか復員しましたか。
お子様は無事に、いま傘寿をむかえましたか。
HP
▼世話係962人先週は151人でした。
HP
▼世話係おい、はいおい、塩見。
はい、先生。
の、太郎冠者とご主人のやりとりは、
はるか過去のことになった。
三勲小学校では、三人の担任とつきあった。
三人三様、おもしろかった。
三人とも、ジジとの付き合い方に迷っていた。
そんなこと、思い出しても仕方がないが、
そういうことです。
いつでも先生は、生徒から通信簿を突きつけられます。
こわいですね。
HP
▼世話係871人先週は
103人。
HP
▼長野のせんせ一語訂正この国の過渡→この国の過去 です。
▼長野のせんせヒロシマになぜ原爆が買い置きの21年7月刊講談社の『暁の宇品』堀川恵子著を読了。兵站を無視した戦闘指揮戦争指導にみられる、日本軍中枢のいい加減さ,胡散臭さを抉り出した好著です。著者は『陸軍船舶司令部に生きた軍人たちの足跡、その海洋輸送のあり方を辿る先に見えるもの。それは、日本が明治の世から必死に築き上げてきたすべてを一瞬に失った太平洋戦争破綻の構造そのものである。
旧日本軍最大の輸送基地・宇品には、この国の過渡と未来が凝縮くされていた』といいます。一読をおすすめします。