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過去ログ382 2008/10/7 23:19

▼世話係
悲しき玩具
商売とはいえ、みんなに頭の中を掻き回されているような日々です。ストレスたまるなあ。
10/7 23:19

▼ボランティア仮面
おまかせ
みんなの人気者、ボランティア仮面。
息子に難儀をさせている年寄りはいないか、いないか。
背負っていこうではないか、山道を。緒方拳を亡くなったことだから、代わりに背負うぞ、背負うぞ。
10/7 21:33

▼世話係
inamatsu さまへ
お読みいただき光栄に存じます。ご批評もいたたき、ありがとうございます。
おおせのこと、よく了解できました。
224ページの地図は、あらゆる時代をかさねあわせています。わかりにくかったか、と思います。変化がかなり激しいですから。
「むかしの銅像の位置」に渋沢の銅像が立っている写真がありましたので。
いまも老人医療センターにいらっしゃるのですか。わたしの何倍もわかっておいででしょう。今後、あのスペースは、どうなるのですか。
10/5 23:15

▼inamatsu
大久保一翁は、江戸城無血開城の最も重要な人物、それが、新生東京の治安維持に引っ張り出されて、七分銀の運用を、子飼の渋沢栄一に託した。
渋沢は、大政奉還時、パリ万博の幕府代表の庶務係としてパリ在住。ヨーロッパで、乳児院、養老院、赤十字運動なども見学。帰国後、静岡の徳川慶喜→明治政府改正係として活躍、旧上司の大久保一翁に七分銀の運用を託されて・・・・
10/5 21:19

▼inamatsu
小生は、養育院附属病院―老人医療センターに長く籍を置く医師です。敷地内に渋沢栄一の銅像がありますが、近年になって渋沢が何故養育院事業にかくもこだわり続けたのかを不思議に思い調べ始めた者です。今回出版の『貧民の帝国』を拝見し、一気の通読いたしました。従来整理できていなかった幾つかのことが氷解した思いです。その一方で、いくつか気になることがあり、若干述べさせていただきます。
露国皇太子??:アレクセイエフ大公は時のロシア皇帝の弟、大津事件のニコライ皇太子の叔父。養育院60,80、120年史は大公となっており、100年史のみの誤記。
224ページの地図は、異なる時代のものを重ね合わされており、変。図示の部分に銅像があったことはない。
気づいた範囲では、以上の点以外ではおおむね了解。下層民からの視点が一致していること、養育院60年史への高い評価、渋沢死後の養育院の官僚化批判には大変納得しています。
10/5 21:03

▼世話係
三鷹の平山歯科医さん
どう読まれようとも、読者の勝手ですが、つぎのような指摘は無茶でしょう。読んだ人は、戦中戦後の養育院についても、疎開先や浮浪児狩り込みなど、六十年史以降についても書いているのはわかります。まして、東京の四大スラムについては、いわんやおやでしょう。
「以前メモっておいた本、読み終わりました。明治から大正にかかけての「救貧院」の歴史でした。その場所と内容についてなのですが、「六十年史」を元ネタにしているので、それ以降である昭和がほとんど書かれていないというのはいかがなものでしょうかね。元ネタを一冊の本に頼るのではなく、もっとお調べになった方が好いと思うのですが」
10/5 10:10

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