塩見 鮮一郎公式 掲示板

過去ログ3526 2019/6/15 1:39

▼世話係
始原と末路の自覚
煮詰めて煮詰めて、
もういいや、
この世はこんなものか。
宮本武蔵の枯れ木にカラスでしたか。
禅の悟りが「一」の字だったり。
中村不折の晩年の書は「幼児」張りでした。

歴史と文学は画然とわかれます。
哲学と文学と絵画と音楽は近しいです。
試行錯誤のすえに、ついに現実は消えて、カンディンスキーになるのです。
描くべき対象の消滅。
そして、作者の消滅。
その自覚から小説は始まります。
6/15 1:39

▼世話係
始原と末路の自覚
煮詰めて煮詰めて、
もういいや、
この世はこんなものか。
宮本武蔵の枯れ木にカラスでしたか。
禅の悟りが「一」の字だったり。
中村不折の晩年の書は「幼児」張りでした。

歴史と文学は画然とわかれます。
哲学と文学と絵画と柳楽は近しいです。
試行錯誤のすえに、ついに現実は消えて、カンディンスキーになるのです。
描くべき対象の消滅。
その自覚から小説は始まります。
6/15 1:31

▼SYUPO
例えば映画のCGとか、
リアルな造形とか。
もっともらしい図像や言説があると、人の想像力とか、自分で何かを決めようとする心の動きなどを、既存の、その「ご立派」なほうに委ねてしまい、途中で廃棄してしまうのかもしれません。

人は「幼児的」な猶予期間を繰り延べするため、そんなものに頼っているのでしょうか。
素朴な表現手段しか持たなかった頃のほうが、脳が発達していたような気がします(仰っていた主旨とは違うかもしれませんが)。
6/15 0:42

▼世話係
読書B
業平がどうしたか。
いまさらわかるはずもない。

わたしが関心を持っているのは、言説の空無化です。
仏教には似たような観念があるが、そいつは不可知論のようだ。

機会があったとき、近代の文学と歴史概念のつまらなさ、その幼児性についてくりかえし述べた。
現代の小説や漫画に見られる「現実が在るかのごとき観念」と、
それへのよりかかりの破産をだれか言うべきです。
写真をトレースするずうずうしさをいとわない指先表現者。
リノベーションをなにかの革新のように言うまやかし。

話をもどせば、ちがうのです。
現在のあなたは、書いても、なにも表現できないでしょう。
6/14 1:47

▼世話係
読書A
『日本の偽書』の末尾には、『伊勢物語』についての記述がある。
中世では、業平は関東・北陸には旅してなく、長岡にいて、
清和天皇の怒りをそらすために、流罪になった証明として
『伊勢物語』をでっちあげた。
「中世の特異な『伊勢物語』注釈のあり方は、偽書を信じる人の深読みと共通する」
と、藤原明はまとめた。

百科事典の「ニッポニカ」で、鈴木日出男は、
「高子(たかいこ)」との恋もなければ、東国への漂泊もないと断じた。

こういう場合は、どちらが偽書なのか。
6/14 0:47

▼世話係
気圧病
酒には強いが、低気圧に弱い。
深夜、また雨になった。
一昨日も一日じゅう雨で、ぐったりとしていた。
頭がぼんやりとして、なにもしたくなくなります。
おやすみなさい。
6/12 1:36

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