塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板
過去ログ3298
2018/2/16 0:14
▼世話係おそい、おそすぎる豆まきしてから10日以上も過ぎた。
報道ステの男キャスターは「小正月」といったが、
もちろん「旧正月」であります。
そお、「小正月」は、旧暦の1月15日です。
少年のころ、新暦に反対する農民が盛大に餅つきして祝っているのを見ました。維新
改暦から70年たっていましたが。
2/16 0:14
▼世話係おそい、おそすぎる豆まきしてから10日以上も過ぎた。
報道ステの男キャスターは「小正月」といったが、
もちろん「旧正月」であります。
んお、「小正月」は、旧暦の1月15日です。藪入りの日です。
少年のころ、新暦に反対する農民が盛大に餅突きして祝っているのを見ました。維新から70年たっていましたが。
2/16 0:10
▼わかけん実態がないは誤解を招きますね。
死や血に対する恐怖、嫌悪感は一応誰にも共通するとします。
それを利用した、つかみようのないヌエのような観念。
ヤマトの圧政に耐え忍びながら、ケガレ観が拡がらなかったアイヌや沖縄が参考になります。
ケガレが一般化することで、血や死に対する恐怖が増幅したとも考えられます。
2/15 11:24
▼わかけん今でも公然と女性は土俵に上がれない。
神聖な場所だからとかういうけど、そんなわけがないのは誰もが知っている。
女性は不浄、ケガレているとして排除してるだけ。
ケガレなぞ、ヌエのような空想観念で、実態なぞあるわけない。排除の構造があるだけです。
ヤスクニに似てますね。語れば語るほど幻想が実態に近づく。
マンガのような書き方ですが、辻本正教さんの『ケガレ意識と部落差別を考える』が、良書だとワタシは思います。
2/15 10:12
▼咲思い出しました有名な話ですが。字が読めない書けない人が役所に行って、人に聞きながら代筆してもらいながら、用事を済ませます。いつのまにか背中に「私は字が読めません、バカです」という紙が貼られています。誰もそれをとってあげません。
小学生の頃、何度となく聞いたのを思い出しました。常に、紙を貼る人、貼られる人、見ているだけの人がいます。いなくなりません。
2/15 3:55
▼世話係ときどき不快A小説にはルビをつけない。あとがきを書かない。
この悪習は寺田編集長の時代も維持されていました。
わたしと5歳ほどうえだけど、かたいね。
ま、そんな過去のことを愚痴りたいのではない。
いまのヤングが、「センセのものはむずかしい」ということだ。
もっと、「ボクら目線で書いてくれ」というときだ。
むかついて、「てめえのような怠惰なぼんくらにつきあう気はない。
わしの本に触ると、刺客を送るぞ」といいたい。
あまえるんじゃないよ、ごみはごみだ。
2/15 1:03