塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ2686 2015/6/26 9:23

▼世話係
山の本
それは。
蜘蛛姫はもちろん、読んでいます。
読了後、ここへ感想を書きます。
6/26 9:23

▼蜘蛛
読了したのは
『ダロウェイ夫人』です。
6/26 7:28

▼蜘蛛
先生、ありがとうございます
えっ、そうなんですか。
私の浅はかな生き方をここで終了させて、新たに生きようという気に少しなりました。

ウルフ読了です。
(悪戦苦闘して、最初の1/4を読み返ししたのは10回だったかしら)
すっかり文章に慣れて、先生の言われるウルフの感性の素晴らしさを、私も感じることができ、ウルフは天才だと思いました。

次は『波』を読もうとしましたが、それは無理ですね。
6/26 7:16

▼世話係
読書
ウルフの小説は、『ダロウェイ夫人』『灯台へ』と、
こんどの『波』の三作を以て代表させる。

執筆はこの順だが、ストレートに結論すれば、完成度もこの順である。

『波』を面白く読む人は、日本人では皆無だろう。英文学の研究者や作家は必死に我慢してページを繰る。
男三人、女三人の視点から、かれら同世代の幼年時代から老年期にかけての心象の描写が、比較的みじかい節で交互に語られる。
ただ、それらは、わずかにまじりあうときはあっても、交叉しからみあうことはない。
世代の描写も、子どものころ、学校、パーティー、結婚と就職と出産、バイロンになるつもりの文才もいまや凡庸だ。老いて外界に関心をうしない、過去の記憶をまさぐれば、
六人の登場人物は相互に入り混じり、その個性をいまや探り当てることができない。

「わたしが振り返って見るのは、一つの人生ではないのだ。わたしは一人の人間ではないのだ。多くの人間だ。わたしは自分が何者か全く分からない。どうやって、わたしの人生を彼らの人生から区別するのか、分からないのだ」

ラスト近くのこの慷慨はウルフの到達点で、
以降の論客が「自我」だ、「個」だとさわぎたてたのは、うろんな所作であった。

この世に存在するのは他者のみで、自分はただの空無である。
空無であるが、人びとに対しては他者として存在している。
6/26 1:52

▼世話係
蜘蛛姫へ呈
或る本より引用。

男が男に語る。
「誰か女と一緒に山へ登る自分を想像したことはないか。夢さ。そこへ現れて来る女はその山登りにとっては普通の関係じゃない。その時のその女に対する愛情は純粋だ」(抄)
6/25 20:53

▼世話係
デモ
鮮度が第一。
あんぽんくんを支援します。
6/25 16:59

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