塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ2681 2015/6/18 0:57

▼世話係
読書
がっこ関連の作品2作。

きょう神田で取り上げる黒川作品は、マルクスやレーニンの著作がでてきて、これが新鮮だった。
エンゲルス『反デューリング論』とか、レーニンの『唯物論と経験批判論』など。
著者が30前後なので、解釈もむかしとはちがう。党派的な偏向もない。哲学として読む。
なるほど、再読してみるか。

もうひとつは木村某の『二十歳の樹平線』で、涸沢岳からの滑落事故をテーマにしている。
一、二年前の作だが、再読した。登山に関してこまかく書いてある。
『ジジと六人の姫』で、これを読む以前に、涸沢滑落を考えていたので、そのことを当時作者に伝えた。
偶然の一致というわけだ。

こんど再読して、すこしばかり引用などさせてもらいたい気分になる。
今夕、酒席で作者に許可をもらうつもり。

6/18 0:57

▼蜘蛛
キリスト教の儀式
血(ワイン)と肉(パン)です。
6/18 0:55

▼世話係
読書
がっこ関連の作品2作。

きょう神田で取り上げる黒川作品は、マルクスやレーニンの著作がでてきて、これが新鮮だった。
エンゲルス『反デューリング論』とか、レーニンの『唯物論と経験批判論』など。
著者が30前後なので、解釈もむかしとはちがう。党派的な偏向もない。哲学として読む。
なるほど、再読してみるか。

もうひとつは木村某の『二十歳の樹平線』で、涸沢岳からの滑落事故をテーマのしている。
一、二年前の作だが、再読。登山に関してこまかく書いてある。
『ジジと六人の姫』で、これを読む以前に、涸沢滑落を考えていたので、そのことを当時作者に伝えた。
偶然の一致というわけだ。

こんど再読して、すこしばかり引用などさせてもらいたい気分になる。
今夕、酒席で作者に許可をもらうつもり。

涸沢と唐沢の両表記があるのはなぜ。
6/18 0:53

▼蜘蛛
ミトラス神像
今日、『大英博物館展』を都美術館で見てきました。
つまらない展示物の中でひとつだけ驚くべき彫像がありました。
『こぼし』の2013−08−25の写真に載った『ミトラス神像』の実物が展示されていたのです。
説明版のは、ミトラス教では牡牛を殺し、その血や肉を食すれば、再生すると記してありました。
この血と肉の儀式はキリスト教と同じですが、ミトラス教の方がずっと古いそうです。
6/18 0:49

▼ 世話係
読書
アゴタ・クリストフ『第三の嘘』読了。
これで「三部作」を終えた。

あまりいい点をあげれない。ますます混乱して、描写の質も低下した。

初めから「三部作」と意識していたわけではなく、売れたから継ぎ足した。だから、全体の整合性を問うのは野暮だろう。

二作目で、故郷に残った双子の一人を主人公にした。三作目は、亡命した片割れの話になる。その設定が陳腐に思えたのだろう、作者は、ほんとうは双子ではなかったと言いだす。タイトルの「嘘」はそれを意味する。ノートに記録された日記は「フィクション」だとした。

でも、それではうまく終わらない。読者は腹がたつだろう。それで本書は二部仕立てで、
後半ではやはり双子が存在して、いなかの子が都市の子に会いに来て、反目する状況が描かれる。

田舎の子は両親の墓のそばに埋葬されて、いちおうの融和が演出されるが、展開に必然性はとぼしい。

やはり一作目の、おさない双子の少年が畑をたがやし、羊を世話し、鶏の卵を町で売りさばき、必死に生きて行く姿がいい。
役人が入学をすすめても拒絶し、大人たちの甘言を切り返す鋭い会話が、三作読むと、なつかしい。
6/17 2:01

▼世話係
読書
アゴタ・クリストフ『ふたりの証拠』読了。
作者はハンガリー出身、スイス在住、フランス語で書く。

あの『悪童日記』の次作。
みんながほめているのをけなすのは、
わが常套手段成れども、
それなりに力を必要とする。
よいしょ、と。

読みやすくて一日で時間が余るが、それは美徳か悪徳か。前作の焼き直し。
双子の一人、故郷に残った男の一代記。スターリン治下の暗黒の日々。

外国に去ったいまひとりに報告するための日記を書いている。いつか再会できるとかたく信じて。
毎夜の酒と放浪、ひっきりなしの喫煙。さらりと書いているが実態は退廃と絶望の悲惨な人生。

牧師に夕食を運ぶが、信仰は拒否する。
本は乱読するが、政治的な行為はしない。
どん底の女と情をかわし、援助をおしまなくても、結婚はしない。
虚無が支配している。

それらがすごく軽いノリで、淡々とつづられているので、ま、読者や批評家は乗せられたか。
作者はシニシズムの底にいて、にんまりか。
6/16 0:44

26822680

掲示板に戻る