塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ2470 2014/7/8 3:00

▼世話係
理研よりも
もっと近代主義者かも知れませんよ。
知りたいですね。
だれでもが入れない雰囲気でしたか。

真面目にいえば、
ロンドンでも合理主義と神秘主義が同時に
進行しましたね。

日本は丸ごとコピーでした。
上田秋生りや鏡花などがいるのにね。
7/8 3:00

▼SYUPO
はい
散歩中に見つけました。
でもまだ入ってはおりません。

お話など聞いてみたい気もするのですが、かといって何を訊いて良いのやら、意外と接点が思い浮かびません。何か難しげな研究をされているのでしたら、質問をするほうもそれなりの準備がいるのでしょうか。
名前からすると、19世紀末ごろからイギリスではじまった「心霊学」「心霊主義」(スピリチュアリズム)の研究に関係する団体なのでしょうか。
7/8 2:42

▼世話係
駅床7・6
の批評を引き継いで
こちらに書きますが、
「日本心霊科学会館」を散歩していて見つけましたか。

中に入ってみましたか。
なにか教えてください。
行って見ようかな。
湯沢温泉はカネがないから
あきられましたが。
7/8 2:06

▼世話係
平行読Aのつづき
下記の本の筆者は、
清涼殿に泥棒が入っても、「滝口の武士」が咎められなかったことに注目して、
このころの武士は「僻邪(へきじゃ)の武」であったとする。モノノケやケガレの侵入を防ぐ呪者であったとする。

わたしは武士のタマゴが、滝口にいたというのが大事だと思う。
かれら自身がケガれているので、水で浄化される。そういう微妙な位置があたえられた。

ここでなければ、殺人者集団・武士を御所(ごしょ)に入れることはできなかった。

ケガレの侵入は、ケガレた者でしか受けもてない。
この両義性こそがおもしろいので、
武士の「僻邪の武」だけをいうのは、
片方だけを見ていることになる。
7/8 1:35

▼世話係
平行読A
若山聡の紹介で、
野口実『武家の棟梁の条件』

維新後の戦時教育のために「武士像」が美々しく飾られたことに注意しなさいと言う。
大河ドラマはすべてその路線でいまに至っている。つまり、戦後もまた戦前の武士道を踏襲している。
戦前は大陸侵攻の合理化に利用され、いまや経営指南の書か。

その指摘は賛成だが、
本書のほとんどは平家から鎌倉武士の名家の履歴に終始しているのはなぜですか。
筆者が東北だから、平泉の話もありますが、
エミシについては無視か。

ひとつ、大事なこと。
武士が誕生したころは、きたない荒くれ者として軽蔑されていた。それはいい。その通りです。やくざとかわらないというのも、その通り。

平安時代、天皇は内裏のなかの「清涼殿」で暮らした。住まいの北に「滝口」という場所があった。
御所(ごしょ)を流れる「お溝水(かわみず)」が流れ、ちいさい堰をつくっていた。それが滝口で、武士の最初はここの廊下で寝ずの番をした。
7/8 1:19

▼世話係
平行読@
することもなし、蟻の行列

「蟻の行列」とは、日本の活字のことだろう。

開高健『ベトナム戦記』
かれがていねいに書くと抜群の冴え。この本の最初のエッセイ、『ベトナムの匂いはすべて「ニョク・マム」』はいいよ。
酸っぱい「ヌク・チャム」を食べたばかりだし。

『私評ノモンハン』(1986)
著者の扇 廣は体験者。このころまでは、従軍の記録が多い。
7/8 1:01

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