塩見 鮮一郎公式WEB 掲示板

過去ログ2411 2014/4/15 18:14

▼世話係
原発ホワイトアウト
霞が関の官僚が、覆面作家になって、原発再稼働の攻略をあばいた「小説」。というけど、小説とは言えない。

こういう品、東大教授による東大批判のようなもの、そういうのを読むと、
わたしは不快になる。
批判者は喝采を浴びているが、
批判者の視野には、東大以外の場所で働いている人が見えてない。

この官僚の小説も、官僚と政治家とマスコミに属する人だけが、
社会を動かしているという「盲信」がある。
大衆は衆愚であり、あやつられる虫けらになる。

官僚作家当人の自慢と欲望が透けて見える。という読み方もできる。
4/15 18:14

▼世話係
原発ホワイトアウト
霞が関の官僚が、覆面作家になって、原発再稼働の攻略をあばいた「小説」。というけど、小説とは言えない。

こういう品、東大教授による東大批判のようなもの、そういうのを読むと、
わたしは不快になる。
批判者は喝采を浴びているが、
批判者の視野には、東大以外の場所で働いている人が見えてない。

この官僚の小説も、官僚と政治家とマスコミに属する人だけが、
社会を動かしているという「盲信」がある。
大衆は衆偶として、あやつられる虫けらになる。

官僚作家の欲望が透けて見える。
4/15 18:10

▼わかけん
ですね。
堀切直人がどんな妄想しているのか。
気になりました。
でも、浅草に牧はないでしょう。
4/15 9:00

▼世話係
おはよう
浅草寺のできるまえ、当地を「浅草」といったかどうかはわかりませんが、
ここが交易港であったのは確かでしょう。
兄弟がこの地を選んだのはそのためでしょうし、同胞の土師真土がいたからでしょう。

将門の乱のあと、武蔵守(むさしのかみ)となった平公雅(たいらのきんまさ)が、浅草寺を壮大な伽藍に造りかえました。地名辞典を見てないのですが、
このとき、寺の塀に沿って延びる馬道ができたとしますか。人道は山之宿の方、川岸でしょう。
駒形は門前町ですね。
どじょう屋はまだなかったでしょう。
いや、わらぶきの汁屋があったか。
港町歓楽地ですから。
殺生禁断と当時はいわなかったでしょう。

朝から申そう、いや、妄想でした。
4/15 8:11

▼わかけん
だいいち
低地の湿地帯で放牧はあり得ない。
ヒノクマ牧場の総支配人は「うんとカネをもうけ」たので、「自分たちの持仏堂をかねて浅草寺を建立した」(P47)
台地から降りて、人の集まる浅草の地を選んだのでしょうか。
4/15 7:27

▼わかけん
おはようございます。
堀切直人がそう書いているようですが。
江戸の城と川の著者は、高台だろうと推定されてますね。
馬込、駒込、牛込。みな「海を眺める緑の台地」です。文庫46頁。

駒形や馬道は、比較的新しい言葉ですか。
4/15 7:19

24122410

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